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客観とは?/ スタッフィ

[ 423] くろねこ@国語塾: 主観的VS客観的
[引用サイト]  http://toto.cocolog-nifty.com/kokugo/2005/06/post_e264.html

進学塾講師歴10年、予備校講師を経て教育ジャーナリスト・セミナー講師として活動中。受験国語・勉強法を中心に教育問題について考えたいと思います。
ご無沙汰しています。実は、国語塾とは全く別ジャンルで本の出版が決まったため、6月中は大変追われています。出来上がった本はおそらく、「国語教師のくせに」「ナンだこの言葉遣いと内容は」とお怒りになる方続出の本だと思いますので、また発売になってからこそっとご紹介します。すみません、モノ書いて生きていくというのはそういうことでもあるのですm(__)m
「今日覚えて帰ってほしいのは『主観的』と『客観的』という2つの言葉。対義語やからセットで覚えてな」
「ほんなら聴こうかな。主観の『主』はここに書いた通り『主人』の意味やと思えばいい。自分が主人になったものの見方や。『観』は『観察』とか観るって意味があるやろ。この『自分が主人になって観る』と、気持ちがむっちゃ入るわけよ。えーっとな、じゃあ『にんじん』について、思いつくことをどんどん言ってくれるかな。連想ゲームみたいな感じで」
「よしよし、この中でな『おいしい』と『きらい』に丸をつけてちょうだい。にんじんを『おいしい』と思うのはその人の勝手やんか。世界中の人が『おいしい』って思う保証はないやろ。自分が主になってにんじんを見て出てきた言葉やな。それから『きらい』も同じ。『きらいやわー』と思う気持ちは、自分の気持ちに過ぎないから人に押し付けることもできないし、にんじんが好きな人に失礼やろ。こういう『自分の気持ち』が入った見方を『主観的』って言うねん」
「たとえば、君らはよう先生のことを『オバさん』とか言うてくれるけど、それは君らの『主観』であって、先生は悪いけど自分のこと『イケてるお姉さん』と思ってるワケや。それに君たちや先生の気持ちを全く無視して『25歳』は世間的には『オバさん』とちゃう。ナンなら、家の人に聞いてもらってもいい」
「こういう『だれかの気持ち』を一切抜いた物の見方を『客観的』と言う。お客さんになった気持ちで、外から眺めるねんな。だから『にんじん』のところで出た『野菜』とか『ビタミンが多い』って言うのは、世界中の人に聞いても同じこと答えるはず。こういう『客観的』な物の見方が、大人になるにはむっちゃ必要やねん」
「例のところに『新聞記事』って書いてあるやろ。ある事件が起こった時に、新聞記者が勝手に『俺はコイツが犯人やと思う、きっと悪いヤツに違いない』って書いたら正しいニュースが伝わらない。阪神がボロ負けしたのに『今日は巨人がズルしたから阪神は負けてない』って思い込むのは勝手やけど、新聞に『阪神は10対0やけど負けてないって信じてる』って書いたらマズイやろ。だから『客観的』の代表例は新聞記事を書くときの物の見方。事実や起こったことだけを、ただ書く。絶対に書く人の気持ちを入れない」
「ところで、日記を書いてる人おるか?…何人かいるな。夏休みの宿題で絵日記を書くときなんかに『今日はUSJに行って、とても楽しかったです』と書く時には君たちの『主観』が入ってくるやろ。『疲れた』と思ったらそう書くし、『また行きたい』と思えばそう書く。日記ほど好きに書いていい文章は無いから、主観的な物の見方の例やねん」
「ほんで、最後に少し大事な話をしよう。まずはこの言葉を対義語として覚えることが大事。使い方としては、例文にあるように自分の気持ちを入れれば『主観的』入れない時は『客観的』。『主観的に考える』とか『客観的に判断する』とかそういう言葉とセットになって使われる」
「それで、使い方だけじゃなく、せっかくだからこの機会に『客観的』な物の見方も覚えてほしいねん。自分の『好き』『きらい』『楽しい』『楽しく無い』だけで物を考えるのはアホや。テレビ見て『このタレント嫌い』と思うレベルやったらええけど、身の周りの人にそれを簡単に使うなよ」
「例えばな、K先生って最強に怖いって思ってる子いるやろ。確かに、怒ったら怖いし怪獣みたいな先生やけど『客観的』に考えてみぃ。塾って賢くなるために来てるんやろ。ほんでもって、K先生は君らをアホにしようと思って怒ってるんか?ちゃうやろ、宿題やらな賢くなれへんからやんか。でも君たちは『怖い』先生を嫌う。じゃあ、先生が今から『毎日授業は無しでーす。オヤツでも食べてゲームして漫画読んでていいよー』って優しくなったらどうなる?」
「そうやろ。ちょっとだけな、苦手な人とか科目とかでも『客観的』に考える――つまり、自分の気持ちをちょっと横において考えるクセをつけると、色んなことが見えてきてもう一つ賢くなれると思うで。じゃあ、今日はこの2つをバッチリ覚えて帰ってな」
これと合わせて「主体」「客体」を教えることもあります。最近の子どもや若い人には「客観視をして分析し、冷静な判断をする能力」が少々欠けていると思うので、力が入ります。また、最近の報道はここで教えているほど、実は客観的でない側面もあり、テレビのバラエティめいた報道番組などの怖さを教えることもあります。
私自身も、主観で人やモノを判断して切って捨てたい瞬間も多くありますが、踏みとどまって判断して動いた方が後悔しないような気がします。要するに「感情」だけで処理しないで、頭を使って相手の立場や別の視点で考える。
教師はどんな子どもであっても、「主観」を排除して分析することが求められているので、自ずと鍛えられる日々でした。「この子は〜だ」と主観で決め付けた瞬間に、その子の可能性を発見できなくなってしまう。「客観性」というのは、大人や教師こそが向き合うべき視点だと思っています。
ただ、趣味や好きなものに主観を炸裂させるのも愛すべき美質なので、両方の視点を教えて認めてやりたいものです。子どもが延々と自分の好きなものについてしゃべってるのを聴くの、楽しいですよ。鉄道とかジャニーズJrとか遊戯王カードとか(笑)
非常に勉強になるホームページですね。これからちょくちょくのぞかせていただきます。自分が小さいときにこんな事を教えてくれる先生がいたら、もう少し賢い大人になれたかも?なんて考えてしまいました。

 

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