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遷移とは?/ スタッフィ

[ 288] 遷移点
[引用サイト]  http://proudwings.air-nifty.com/seniten/

3年ぐらい前に、一枚のCDを買った。現代の天才ホルン奏者、バボラークがバッハの「ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ」をホルンで吹き上げると話題になったCDだ。これを聴いて、何故かバッハの音楽に惹かれたらしい。「らしい」というのは、そのとき、そう意識したわけではないからである。次に、ユリア・フィッシャーのコンサートのアンコールで聴いたバッハのパルティータ。そのCDも買った。その後すぐ、ヨーヨー・マの無伴奏チェロをライヴで聴く機会に恵まれた。その後もアルフレッド・ブレンデルやグレン・グールドのCDを「何故か」買っている。別に強い動機があったわけではないのに、頻繁にバッハの音楽を聴き、CDを異常な割合で買っているのである、今振り返ってみると。
でも、実はそれらのCDのバッハにはあまり感銘を受けなかった。バボラークのCD以外はあんまり聴いてない。
その頃、オーディオ評論家のY氏が絶賛している、リンレコードからリリースされたダンディン・コンソートによるヘンデルのメサイアのSACDを聴いた。確かに素晴らしい録音のディスクだが、悲しいかな私のシステムでは彼の言うような広大な音場は現れなかった。このCDも非常に再生のハードルの高いディスクなのであった。でも、そうか、古楽器だ、という認識が生まれた。それは、現代楽器の音の鋭さ、そして、ピリオド楽器風演奏への拒否感とリンクしていた。そして、先日、ボンのベートーベンハウスで至近距離で、最高の条件で、一流の奏者による室内楽を聴いたにもかかわらず、結局本質的な「音」の部分での違和感は解消されなかったことが、古楽器を聴いてみたいというそのときの発言につながっていたのだ・・・・。
心に思うことが、それを実現させる最低条件だと言われる。しかし・・・実は心に思った瞬間にもう実現に向けてのレールができてしまっているのではないかと思うことがある。
コンサートはあっという間に終わった。100分もあったとは信じられない。モンテヴェルディはこの曲を書く以前は大衆音楽を書いていたそうだが、それが良くわかった。わかりやすい旋律に豪華な合唱、変化に富んだ構成に「エコー」などの仕掛け・・・・これが400年も前に存在していたというのは驚きである。実際、どこかで聞いた旋律がたくさんあった。生きている音楽だった。
古楽器の音は現代楽器より柔らかく、自然な音がする。人の声と良く調和し、主張しすぎない。このことは、この時代の音楽が、人の声を主としていたことを物語っている。特にZinkというリコーダーと雅楽で使う篳篥(ひちりき)の中間のような音のする管楽器は重要な役割を持っている。この楽器が一番強い音が出せ、人の声に呼応するように使われていた。
ルネサンス期の音楽は「ポリフォニー的」と評される。それの意味するところは言葉ではまったく理解できなかった。今回のコンサートではその意味することを少し感じることができた。教会と言う特殊な「場」における残響と、それを計算に入れた重なり合う旋律により、倍音成分の重なり合いが相乗効果を生み出す・・・おそらく共鳴を利用したもの。やっぱり言葉で説明するのは不可能だ。
でも、なぜ少ししか感じられなかったのかというと、このコンサートには残念な点もいくつかあったからである。一つは会場が特殊で、大きすぎたと思う。私達は演奏を横から聴いていたのだが、やはり人の声は前に出るので独唱者たちの声の直接音があまり聞けなかった。そういうわけで、人の声によるポリフォニーを感じるという意味では限界があった。また、会場が大きすぎることは、古楽器の根源的問題、音量が取れないという問題をクローズアップする結果となっていた。そんなこんなで、合唱ばかりが目立つというアンバランスな状態になっていたのである。もう一つ、マイナーな問題は、椅子がパイプ椅子だったため、そこかしこから椅子のきしみ音が絶え間なく聞こえていたこと。パフォーマンスそのものは私としてはもう手放しで絶賛できるものだっただけに、残念でもあった。
聞くところによると、この演奏でも、もっといいものを聴くと不満に感じる点があるという。とはいえ、今回は大きく広がる古楽の世界の一部を垣間見ることができた、ということで満足している。いろいろと難癖をつけたみたいだけど、本心は素直に感動し、目からうろこが落ちたというにふさわしい演奏会だった!いろいろと情報を得たので、少しづつその世界に足を踏み入れていこう。テキストの理解など、その真髄を理解するのにはまだまだ先のことだろうが、それはたぶん向こうからやってくると思う。
これが普通なのかもしれないが、差が大きすぎる。コートや毛布は洗濯して収めてしまったと言うのに。職場では変な咳をしている奴がちらほらいて気をつけねばと思っていたのだが、結局風邪を引いて寝込んでしまった。すでにほぼ治ったが、週末が潰れてしまった。ま、休みなさいという神のおもしべしでしょう。
先々週ぐらいから急に天候が良くなり、春を通り越して夏の陽気となった。春だなぁと感じたのは2,3日ぐらいだったなー。今日も快晴、風はさわやかなものの陽射しがギラギラと痛く、暑さに適応し切れていない体は早くも夏バテのような感じですらある。
とはいえ、競馬日和には違いない。今日のケルンはパンパンの良馬場で新馬戦3つに3歳牝馬・牡馬のマイル最速を決めるレースが行われ、非常に内容が濃かった。
日曜日は今年一番の絶好の好天だった。しかし、風がかなり強くて馬場はどんどん乾いていったようで、発表の4.4よりも堅かったと思う。こういう馬場はドイツではそうはないので、各レースとも破格の時計が出た。
6RのマイルL。Konig Turfが引退した後の覇権を伺う明け4歳馬たちの将来を占うレースだと思っていたが、なんと古豪Willinglyにあしらわれてしまうという残念な結果となった。確かにWillinglyは良馬場でよく走る馬で私もヒモで狙っていたが、あんなに簡単にやられてしまうようでは先が思いやられる。メインでも4歳馬惨敗ということも踏まえると、やはり世代レベルがイマイチということになってしまうのかもしれない。
とはいえ、今回はシュレンダーハン・ヒルシュベルガーの馬が人気を背負いながらことごとく惨敗した。どの馬も緩いつくりで明らかに仕上がり途上だった。レースに向けてまじめに仕上げていない。調教の一環としてレースに出ているだろ!と言いたくなる。新しくプライベートジョッキーとなったT.P.Queallyにも厳しい結果となったが、彼のせいではないのは明白である・・・。
戦前のレースの見立ては、Oriental Tigerが逃げるが、強い馬がつぶしに行くからこの前のようには簡単にはいかないだろうというものだった。穴党としては、その結果ハイペースとなりレースが潰れて、後ろから決め打ちに行った馬が突っ込んで荒れる可能性を狙おうと思っていた。好天ですばらしい良馬場になっていたことも一つの判断材料であった。
Oriental Tigerのパドックでの雰囲気はすばらしかった。前回のような気の抜けた感じとも違う。落ち着いているのに、じわっと気合があり、目の奥にかすかな妖気を漂わせていた。休み明けの他馬と比べたら、その差は歴然としていた。
追いかければ潰れ、溜めれば届かない。Oriental Tigerのレースは、スタミナを最大限に生かせるスピードを兼ね備えた、真に強い逃げ馬のそれだった。思えば、去年までの彼はまだ子供だったのだろう。本当に実が入って、気性も大人になったところに、手の合うヘリヤーと出会ったのだ。これを休み明けの馬が負かせるはずがなかった。
なんと、30日のうち28日にコンサートがあり、その延べ回数は33回!特別な音楽祭があるわけではないのに。しかも、その中には、ウイーンフィル、フィルハーモニア管、シュターツカペレ・ドレスデンという世界最高ランクとされているオーケストラの客演が含まれている。
もし自分が悠々自適の年金生活者なら、毎日のように足を運びたいところ。大概のコンサートチケットは映画2回分ぐらいの値段で買えるから、少し余裕のある人なら金銭的にもそれは可能だろう。しかし、自分の現状では月に2,3回が限度だ・・・・やはり平日のコンサートは仕事持ちには肉体的につらい。
ということで数あるコンサートから選んだのは、シュターツカペレ・ドレスデンのコンサートと、内田光子のソロ・リサイタルだ。
シュターツカペレ・ドレスデンのコンサートの目的は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩を生で聴くことにあった。これは高校生の頃、初めて彼の交響詩をFMで聴いてそのスケールと多彩な楽想に圧倒されて以来、念願ともいえるものだった。その機会はずっとうかがっていた。しかし、楽曲のスケールの大きさとそれに比しての知名度の低さゆえに、日本ではなかなか演奏されない。曲の長さが中途半端というのもネックなのだろう。マーラーやブルックナーに比べたらその演奏頻度は10分の1以下だと思う。そういうわけで今まで一度も生で聴くことはなかった。
シュターツカペレ・ドレスデンはR.シュトラウスが指揮者だったこともあり、彼の作品を数多く初演している。つまり、このオーケストラによる彼の交響詩は、正統中の正統ということになる。そこで、奮発していい席を取り、羽振りのよさそうなお年寄りに混じって聴いてきた。
感想は・・・もう、言葉もありません。素直に感動です。交響詩「英雄の生涯」は、ともすればゴテゴテと虚飾に満ちていると評されがちの曲だが、実際聞いてみるとそんなことはまったくなかった。指揮のファビオ・ルイージがその風貌そのままに真摯で虚飾のない演奏スタイルであったことも大きいだろう。あと、曲の最後がいつも聞いているディスクとは違いバイオリンの独奏で静かに終わった。プログラムを良く見ると、初稿オリジナル版での演奏、とある。ルイージはこのオリジナル版でSACDを出しており、よほどこだわりがあるのであろう。
この曲はバイオリン協奏曲と言ってもいいぐらいにバイオリンの独奏が多い。ここで活躍したのがコンサートマスターのカイ・フォーグラーだった。彼のバイオリンは非常に音が大きく、歌う。ただものではない。ソリストとしても世界トップクラスの実力だと感じた。あと、彼の楽器は何なのだろう??ものすごくいい楽器だと思うのだが。
英雄の生涯の他に演奏されたのは、女流作曲家イザベル・ムンドリーの"Balancen”とセバスティアン・クナウアーとの共演によるベートーベンのピアノ協奏曲1番。
Balancenは完全対抗配置された小規模なオーケストラと打楽器による、試験的な楽曲だった。いかに立体的な音場を作り出すかというテーマを感じるとても面白い楽曲で、マルチチャンネルでこれをどれだけ再生できるかなどとオーディオ的な夢想をしながら聞いていた。
ベートーベンの協奏曲は生で聴くのは2回目だと思う。セバスティアン・クナウアーのピアノは精神的・テクニック的にとても余裕のあるもので、とにかく「上手い」と感じる、安心して楽しめるものだった。オケにもうちょっと集中力があれば、もっと良かったとは思うけど・・・Balancenと英雄の生涯の間で少し中だるみになるのは仕方がないとは思うけどね。
このプログラム、ごらんのように楽器の構成がバラバラ。完全対抗配置+特殊打楽器>古典的小規模オーケストラ+ピアノ>現代的大規模オーケストラ(打楽器多数)という無茶なプログラムなのだ。したがって裏方さんは大変。ステージの中央の奈落の底からグランドピアノがせり上がってきたのにはびっくりしたよ。
彼女のピアノは、テクニックがどうとか音がどうとかじゃない。彼女は、自分の意思を伝える変換装置として指とピアノを使っている、と思う。そのダイレクトさが凄いと思った。聞かせようとか聞いてもらおうなどという、ありがちなサービス精神を飛び越えて、彼女の心と音楽だけがそこに存在するのだ。そこに観客が居合わせていて、引き込まれていくのである・・・・。
曲目はシューベルトのソナタ、シューマンの交響的練習曲、バッハのフーガの技法などに加え、ハンガリーの現代作曲家クルタークのJATEKOKという連作から、数曲が抜粋して演奏された。この曲、現代曲という感じではなく、非常に情緒と「いいようのない悲しみ」にあふれる旋律があり、私の心にも直接響いた。曲自体が虚飾がなく少ない音で世界を作り出していく。このダイレクトさが内田光子の演奏スタイルにぴったり合致していて、感動を呼ぶのであった・・・・。
本当はヨーロッパ室内管やフィルハーモニア管、来月のアルフレッド・ブレンデルのリサイタルやミュンヘンフィルにも行きたい。それに、ケルンにはWDRとGurzenich-Orchesterという二つのハイレベルな地元オーケストラがあって、定期演奏会が毎週のようにある。それに加えてゼンデザールとボン・ベートーベンハウスでの室内楽がある・・・。そして、ケルン市立歌劇場ではヴァグナーの「タインホイザー」を連続公演している。なんという恵まれた状況なんだろう!もっと早く気づくべきだった。
先々週にケルン競馬場の芝開催がスタートしたが、当日、朝起きると外は銀世界だった。雪の中で平場開催に行くほどのモチベーションはなかった・・・。
そして、先週の日曜日。今年の初重賞、そしてEgertonが出てくるとあってさすがに重い腰を上げた。しとしとと降り続いていた冷たい雨は上がったが、風はまさに身を切るよう。陽光は暖かいが、暖かいのは日に当たっている面だけ。鼻水をたらしながらの観戦であった。
1レースの3歳未勝利は、前が飛ばしすぎて後ろからトボトボついていった馬2頭で決まるという大荒れとなった。勝ったNo Pardonは大外にぶっ飛んでいって、全馬を差し切ってしまったのだ。こりゃどうなることかと思ったのだが・・・。
2レースの未勝利では初出走の牝馬、Florianaが圧勝。直線は引き離す一方だった。パドックからこれは間違いないと思えるほどの仕上がりと気配で、さすが若駒はオストマン厩舎といったところ。オークス路線に名乗りを上げたと言っていいだろう。ここで幸先良く稼がせていただいた。
しかし・・次の3−6レースで4連続で1番人気が勝利するという堅い決着が続いた。基本的に1番人気は買わない上に1レースのこともあったので、2レースで稼いだ分をあらかたすってしまった。5レースのマイルのリステッドでは重賞2連勝のMharadonoが登場。相手が全馬条件馬だから一本かぶりになると思っていたのに、予想に反して結構人気が割れた。心が揺れたが、パドックでいかにも休み明けの一叩きといった風情を漂わせる彼を見て、結局買えず。結果は見てのとおり、自分でレースを作って余裕の勝利といったところ。さすがにこの相手には負けんだろうということか。
そして、メインのGrand Prix Aufgalopp。去年のこのレースの覇者でもあるEgertonは、基本的には良馬場で持ち味を出すタイプ。もしかしたら回避するんじゃないかと思っていたが、ちゃんと出てきた。が・・・いつもは惚れ惚れするような滑らかでやわらかい歩き方をするのに、歩様が明らかに硬い。これはマズイ、来ない、と思った。すると、長期休み明けでも実力のあるOriental Tigerか。Tiger Hillの仔は一本調子なところがありしかもスタミナ豊富、重馬場は大歓迎だ。が・・・なんと、彼にも大きな変化が。これまではパドックでも気の悪さをみせて目の奥に狂気をたたえていたのに、今日の彼はなんとおとなしいことか。ブリンカーの奥にのぞく目はつぶらで澄んでいる。どういうことだ、これは。私は混乱した。これはいい変化に見えるが、もしかしたら競争意欲を失ったのかもしれない・・・。ボシャートの引退でヘリヤーへの乗り代わりも不確定要素だ。うーむ。
こんなこと言ってはなんだけど、Oriental Tigerはこんなところで2番人気で勝つのではなく、GIで爆走して大穴を開けて欲しかったなぁ。これで、目標にされる存在となってしまったじゃないか。こうなると逃げ馬はなかなかGIでは勝てない。ずーーっと狙ってたのにな・・・・。
結局、馬券的にはスミ1となって、トントンに終わった。1番人気を買えないという天邪鬼さを克服すべきだな・・・と思った日だった。それよりなにより、もうちょっと暖かくなってくれんことには・・・。
ジャンプ週間の後の彼の様子から、そう腹を決めたのではないかと思っていた。「鉄仮面」と言われた試合中の彼の表情が和らいでいたから・・・。
彼の輝かしい成績の中でもっとも凄いことは、1994年シーズンのフル参戦以来、15期連続で表彰台に上がり、総合15位以内に入っているということだ。ルールがコロコロと変わっていく中で、常にトップクラスで戦っていたということである。
このことは、彼のとてつもない運動能力、ポテンシャルの高さを如実に示していると思う。コヨンコフスキーはアホネンの引退に寄せて、彼を「史上最高のジャンパー」と評した。そのとおりだと思う。ある一つのルールの下で強いというジャンパーはいっぱいいた。でも、彼に比肩できるほどのオールラウンダーは、少なくともV字革命以来にはいない。
ハンナバルトが活躍した“長身痩躯時代”、彼は頑なに過度の減量を拒否したと伝えられている。その結果、2001年、2002年のシーズンは未勝利に終わった。しかし、その後ハンナバルトは燃え尽き、彼は輝きを取り戻した。彼は正しかったのである。
思い出すのは2005年シーズンの圧倒的な強さだ。特に、ヴィリンゲンで伊東に試練を与えた152mの大ジャンプ、そしてプラニツァ最終フライトでの幻の240mレコードは記憶に刻まれている。
私にとっては、正直言うと彼はヒールの扱いだった。何故かといえば強すぎるから・・・能力がありすぎて、能力の7割で勝ってしまうから。調子や精神的な波が大きくても、上限がとてつもなく高いので成績がついてくるから。端的に言えば、不条理を感じさせるジャンパーだった。マリシュに対しては同じように強くてもそんな風には感じないのに・・・。
でも、強いヒールへの反発は、その強さへの敬意の裏返しであることは言うまでもない。彼のいない次のシーズンは何か物足りないものになるだろう。私の中では、シュリーレンツァウアーがそのポジションに入ってくることを期待している。
春らしくなったと思ったら、今週に入って寒の戻りがあり最高気温が5度も行かない日が続いている。体はもう春支度に入っているのでものすごく寒く感じる・・・。
さて、昨シーズンの回顧では「クロスオーバーの年」として世代交代が進みつつあるもののベテランが踏ん張り、マリシュ、アマンによるチャンピオンシーが守られた年、と結論付けた。そして、今年は明確に世代交代が起こったと言っていいと思う。
技術トレンドは昨年と同じ。ルールの安定とともに技術も安定してきたと思う。ジャンプ台のプロフィールの変更とそれに伴う新造台の増加は、全体としてフリーガータイプ・・・前への志向の強いジャンパー・・・に有利に働いたと思う。しかし、フリーガータイプではないモルゲンシュターンの総合優勝に見るとおり、その流れは一定のものでしかなかった。
既にオリンピックタイトルを得たモルゲンシュターンにとって、総合のタイトルは待ち望まれていたものだった。力的には数年前からいつとってもおかしくない状況だったが、怪我などでシーズンを通して調子を維持できていなかった。今年はサマーから絶好調でそのままタイトルまで突っ走ることができた。
一方、チャンピオンを取ってしかるべきもう一人、ノルウェーのヤコブセンにとっては我慢の年だった。シーズンオフの怪我がもとでジャンプのバランスが崩れ、シーズンに入って度重なる転倒によりさらに怪我をし、そこから立ち直ったころにはシーズンが終わってしまった。
シュリーレンツァウアーはその才能が本当に開花し始めた。去年は半信半疑だったが、今年はもう誰も彼の才を疑うまい。現行のルールでは体の成長がマイナスに働くことはないので、体の変わる20歳前後の期間をうまく過ごせば、次の10年は彼の年となる。ここで無理をしないことが肝要なのだが、そのへんはポイントナーが良くわかっていることだろう。
彼らの若い力に対抗しえたのは、アホネンただ一人だった。彼のジャンプ週間で見せたパフォーマンスは神がかっていた。旧世代による最後の花火、と言ったら失礼かもしれないが・・・・。その後の彼の失速、そして明らかな意欲の減退は、その瞬間に全力をつぎ込んだアスリートの燃え尽きを感じさせた。
今年は未勝利に終わったマリシュ。波に乗れなかったスイスのアマン・キュッテル。そして最後まで戻ってこなかったヨケルソイ・・・。たぶん、ヨケルソイは辞めるだろう。マリシュはバンクーバーまで続けるそうだが、今年の彼のパフォーマンスは年月の疲れを感じさせた。アマン・キュッテルはそれぞれ持ち味を発揮しながらのこの成績であり、相対的な力の低下は否めないと思う。彼らの巻き返しはありえるのだろうか?
国別に評価すれば、まさに最高の年だったオーストリア・チーム。オーストリアの凄いところは、ワールドカップだけでなくコンチネンタル以下のすべてのカテゴリーで圧倒的な力を見せていること。コンチネンタルカップでは上位10人中8人がオーストリア勢という状態である。各世代で競争が激しく、上に上がってくる者は既に勝つ味を知っている奴だけ・・・うらやましい限りである。
それに対抗できているのは、ノルウェーのみだ。ノルウェーは世代交代もちゃんと進んで、オーストリアほどの厚さはないが、若手も伸びている。コヨンコフスキー様様というところ。ヒルデがヤコブセンと並ぶ2枚看板に成長したことで団体戦でもオーストリアに対抗できていた。
もう一方の北欧の雄であるフィンランドは、ハッポネン・オリがイマイチ伸び悩んでいて、ひざの状態が思わしくないハウタマキがパッとせず、アホネンに頼り切る状態から脱し切れていない。また、若手が伸びず層が薄くなっている。アホネンが辞めたら一気に第2グループに落ちてしまうかもしれない。ニクネンの後任に誰がなるのか知らないが、かなり行き先厳しい状態だと思う。
一方、今後良くなりそうな国がある。それは、スロベニアだ。まだ、ワールドカップレベルでは上と力の差がある。しかし、コンチネンタルやフィスカップにおいて、若いジャンパーが伸びてきている。ニッコラの手腕次第で大化けする可能性を秘めていると思う。次にロシア。間違いなくジャンパーたちの素質はすばらしい。特に若いカレリンはアホネンを継ぐことのできる素質があると思う。それでいてイマイチパッとしない成績に終わっているところに、シュタイアート・コーチの手腕に疑問を感じるのだが・・・。そして、チェコ。クデルカがエースとして成長し、他のジャンパーもスケールが大きい。ヤンダなしでも来年の世界選手権でメダルを狙えると思う。
ドイツ。今年は底だったと思いたい。怪我から復帰したばかりのウアマンがダメだったのは仕方がない。靭帯損傷から復活したノイマイヤーも、彼として最高のシーズンだったと思う。技術改造に取り組んでいるシュミットが、時々その片鱗を見せるものの、安定して成績を残せなかったのも仕方がない。リッツアーフェルトは怪我から戻ってこなかった。彼らのパフォーマンスは、来年は間違いなく今年よりもいいだろう。
でも、3年後、5年後はどうだろう?もっと深い深淵がそこにあるように思えて仕方がない。マジで若いジャンパーに「きらめき」がない。見た感じ技術的な問題ではないだけに深刻だ・・・。ローヴァインの後任には誰もなりたくないはず。だって、がんばったところで次の何年でこの問題を解消できるとは思えないのだから・・・・。
日本。成績は最低だ。表彰台もなし。国別対抗では1000点を切り、ロシアの後塵を拝した。これは事実だから仕方がない。でも・・・・私はここ数年の出口の見えない状況、今のドイツのような状況からは確実に脱しつつあると評価している。葛西・岡部に頼らなくてもなんとかやっていけるめどが立った。とにかく、長い目でバンクーバーの次、ソチでのメダルを目指して一歩一歩進んでいって欲しいと願っている。
シーズンオフの怪我で不満足な成績に終わった葛西選手には、来期の復活を期待してます。伊東選手、自分だけにしかできないジャンプを目指してください。竹内選手は日本人離れしたパワーに磨きをかけてください。栃本選手、このままスケールアップするだけでいいと思うので、まだ無理はせず、ゆっくりゆっくり、固めていってください。
プラニツァでのフライングは想像していたよりずっと良い状態で行われた。もちろん、風の運不運はあったけど、総じて公平な戦いだったと思う。
彼の一人舞台だった。普段なら主役を張るはずのロマーレンとアホネンは、そのフリーガーとしての名声に恥じないフライトをしていたと思う。しかし、シュリーレンツァウアーのフライトは、今までのフリーガーのフライトとは一線を画するものだったのである。
それに勝つために、ロマーレンとアホネンは”無理な”フライトで自滅していった。前に突っ込みすぎていた。今までの常識では、とにかく前に、早くサッツを終わらせる。これがここでの必勝法だった。そして、長いスキーを生かして落下角度を浅くし、落ちる前に前に進むのだ。
しかし、シュリーレンツァウアーのフライトはずっと上への志向があった。それでいて、落ちなかった。マキシマムが高いのに、そのまま落ちないで行ってしまうのだ。とんでもない高さを飛び、最後は自分で降りた。
彼のサッツは、どこで終わったのかわからないぐらい速かった。飛んだ瞬間には、もう終わっているように見えた。BMIレギュレーションの導入で彼は短いスキーを履いているはずなのに、どうやって落ちないで行けるのだろう。たぶん、飛んだ後のスピードのロスが他のジャンパーに比べて格段に少ないのだろう。落ちる前に前に進む、ということをサッツの後のマキシマムのあたりでやっている。後半の落下角度はたぶん、ロマーレンらよりは深い。でも、そこに行くまでにずっと前に進んでしまっているのだ。
でも、それにしたって、モルゲンシュターンらの普通のジャンパーはがんばっても200そこそこしか行かないのに、なぜ彼だけ230まで行けるのか、その説明はついていない。魔法のように見える。天才的な才能と言えば簡単だが。
今年の主役だったはずのモルゲンシュターンは総合のタイトルは手にしたものの、すでにその座をシュリーレンツァウアーに追われてしまった感がある。来年、彼はシュリーレンツァウアーを今年のように祝福できるのだろうか。もう、内心は違うはずだ。戦いは始まっているだろう。

 

[ 289] J-STORE(三次元かご状遷移金属錯体及びその製造法 藤田 誠)
[引用サイト]  http://jstore.jst.go.jp/cgi-bin/patent/advanced/detail.cgi?pat_id=1462

配位子が、実質的に平面構造であって、遷移金属と配位結合を形成することができる電子対を分子中に3個以上有する化合物である、三次元かご状遷移金属錯体及びその製造方法に関する発明である。高次な構造や機能を持った分子を複数の小分子から自発的に組み立て、熱力学平衡下で自己組織化した平衡構造を平衡のない構造に固定化するものであり、白金−ビリジン核結合は可逆性を容易に制御する。この発明ではこの概念を利用して、配位子が、実質的に平面構造であって、遷移金属と配位結合を形成することができる電子対を分子中に3個以上有する化合物である、三次元かご状遷移金属錯体に関する。より詳細には、配位子は、2,4,6−トリス(4−ピリジル)−1,3,5−トリアジンである。遷移金属としては、配位結合により錯体を形成できる遷移金属、具体的には白金、パラジウムなどがある。また、テンプレートの存在下に、実質的に平面構造であって、遷移金属と配位結合を形成することができる電子対を分子中に3個以上有する化合物と、遷移金属塩とを混合して反応させてテンプレートを含有した三次元かご状遷移金属錯体を製造することもできる。
従来より、化学物質などを包み込むものとして、ミクロスフェアやリポソームがある。これらのものは直径がミクロンのオーダーであり、nm単位の分子を正確に制御することはできなかった。1985年に、約0.7nmの直径を有する炭素60の化合物である「フラーレン」が発見され、1984年には直径数nm〜10nmのデンドリマーが報告された。一方、nm単位の測定を可能とする走査型トンネル顕微鏡が開発されて立体構造がナノスケールで把握できるようになった。
配位子が、実質的に平面構造であって、遷移金属と配位結合を形成することができる電子対を分子中に3個以上有する化合物である、三次元かご状遷移金属錯体及びその製造方法
ナノスケールの三次元かご状構造をしており、他の化学物質をその中に選択的に取り込むことができ、化学物質の外界からの保護や、選択的なふるいなどに有用である。
【請求項1】 配位子が、実質的に平面構造であって、遷移金属と配位結合を形成することができる電子対を分子中に3個以上有する化合物であり、6員芳香環の1,3,5−位又は2,4,6−位に、ピリジン環が置換した配位子、又はポルフィン環系の対称の位置に4個のピリジン環が置換した配位子である三次元かご状白金錯体。【請求項2】 配位子が、2,4,6−トリス(4−ピリジル)−1,3,5−トリアジンである請求項1に記載の錯体。【請求項3】 三次元かご状遷移金属錯体のかごの中に他の化合物をゲスト化合物として含有してなる請求項1又は2に記載の錯体。【請求項4】 テンプレートの存在下に、実質的に平面構造であって、遷移金属と配位結合を形成することができる電子対を分子中に3個以上有する化合物と、遷移金属塩とを混合して反応させてテンプレートを含有した三次元かご状遷移金属錯体を製造し、所望により当該テンプレートを抽出除去することからなる請求項1〜3のいずれかに記載の三次元かご状遷移金属錯体を製造する方法。【請求項5】 テンプレートが、アダマンタンカルボン酸塩である請求項4に記載の製造方法。

 

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