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[ 15] スラッシュドット・ジャパン | freemail、来年1月をもってメールサービス終了
[引用サイト]  http://slashdot.jp/articles/06/10/27/0740221.shtml

STRing曰く、"ソフトバンクテレコム株式会社は 2007年1月31日をもって無料メールサービス「freemail」を終了 することを発表しました。送受信メールに広告が付かず、 POP/SMTP 経由で MUA から利用でき、メールアドレスも長いながら判りやすいと過去の同時期のサービスに比べると利点が多かった本サービスですが、アカウント宛に届くダイレクトメールに掲載された広告からの収益でサービスを提供するはずが弾いているわけでもないのに全く来なかったりとなかなか不思議な状態でした。最近では新規募集も終了しており、いつサービス終了するかと危ぶんでいた人も多いのではないでしょうか?
gmail などアグレッシブなサービスの出現で移行した方も多いと思いますが、終末の日までに身支度を調えることをおすすめします。"
但し書き: コメントはそれぞれ投稿した人のものです。決してわたしたちが責任を負うものではありません。
オフィシャルなDMすらほとんど来ないという商売する気あるのかと思うぐらい、利用者にはいいサービスでこれをきっかけに平成電電の事も知った訳ですが…長らく使っていた分、メールアドレス変更するのには、十分な時間を与えられている分、マシですけど、サービスを丸ごと終わらせるよりは、このメアドを転送するだけのサービスに徹して、広告収入で稼げばと思うんだけど…だた、同様に無料で使えたFREECOMもFREEMAIL同様サービス終了 [freecom.ne.jp]ですか。こっちの方が先かと思ってたのに…ただ、日本テレコムに譲渡されたと通知があった時には、平成電電と裁判沙汰起こしたソフトバンクに結果的にはねぇ…と、ちょいと内部事情知る事のできた立場だったので、しみじみ思います。まぁ、平成電電があんな事になって、事業継続させるのはどうするのと思ってたけど、譲渡先がよりによって、日本テレコム(今月からソフトバンクテレコム)って時点で、悪寒はしました。これをきっかけに、メーラーもAL-Mailから他の奴に移行しようかな。GMailに対応できないんじゃ、どうしようもないし。#SSL対応する気配が無いしなぁ…
サービス終了のメールを昨日の夜に受け取ってから,変更手続きをしたけど,本当に誇張抜きで死ぬほど面倒ですよ。あなたがどの程度ネットのサービスを利用していたか分かりませんが,ML,MM,通販なども含めたIDの必要なサイトの登録情報……とにかく大変です。4時間くらいかかりました。
ついでだからとそれぞれのサイトのパスワード変更までしたのも大変だった理由ですが,こんなことでもないとパスワード変更なんてしないのでいいきっかけにはなりました。
あと,メールアドレス変更手続きにも使い勝手の良いものと悪いものがあって,それらのユーザビリティのレビューをしているような気分になりました。
以下はオフトピです。上から順によかったもの。ネット探せば似たような感想がたくさん転がってるとは思いますが。
変更確認があるもの。変更後のアドレスに送られたメールのURLをクリックして変更手続きを完了させてくださいって奴。たくさんあるとこれさえもめんどくさい。
MM登録するだけなのに個人情報を要求する奴。また,かつては個人情報を収集してなかったけど,あとから収集するようになり,アドレス変更時にも個人情報要求する奴などは最悪。なんでMM読むのに住所まで教えないと以下略

 

[ 16] 猫を償うに猫をもってせよ
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/

『蟹工船』が売れているとかで話題になっている。大変気持ち悪い。第一に、火付け役が雨宮処凛というところが胡散臭い。雨宮は「元右翼」と言っているが、「左翼」になったという気が私にはしない。だって尊皇家の佐藤優と対談しているんだもの。貧乏で大変と言いつつ最後は天皇陛下にお縋りするような気がしてならぬのである。
毎日新聞の記事では赤木智弘も出ていたが、これまた胡散臭い。だいたい2.26事件というのは、東北の飢饉による貧困の広がりの中で、中産階級と政党・企業を中心とする政治に不満を抱いた青年将校らによって起こされたものであり、現に戦争が始まれば経済は一時的にであれ好転するのである。
安西徹雄先生が亡くなった。もう五年以上前になるだろうか、ネット上で私のエッセイを公開して金をとるみたいなプロジェクトに誘う電話が掛かってきて、安西先生の訳したシェイクスピアなんかもやる、というので、どうしたものかと面識もない安西氏に電話してお尋ねしたら、話は来ていますが決まったわけではないです、とのことで、数日後さらにお葉書が来て、あまり係わり合いにならないほうが、と書いてあった。いい人から先に死ぬものである。
『サンデー毎日』で池内紀先生が、今泉みね子の『クルマのない生活』の書評に事寄せて、エコロジストを名乗りつつ平然と自動車を使う連中を揶揄していた。さすがである。どうせ大広告主に配慮してだろうが、『それでもクルマに乗るための100の知恵』なんという本を出す朝日新聞出版は爪の垢でも煎じて呑むがよい。死刑廃止論者は、それほど人命が大切だというなら、自動車をこの世からなくすよう訴えたらどうか。
しかし書き下ろしで入れた二編は、要するに載せてくれる雑誌がないから書き下ろしで入れたわけで、実際には素材が生煮えであり、本来はここからいくつもの短編を切り出すか、長編に仕立てることのできるはずのものである。今後の課題としたい。
それから、やはり書き下ろしということで、迷いが見え、推敲が足りない。自分で読んでいて笑ってしまうくらい足りない。もし、「これで完成型である。オッケーであるから、推敲せよ」と言われたら、もっときちんとやっただろう。まあ躓くのも小説のあり方の一つではあるが、それ以前の問題ともいうべきてにをはのおかしさが目に付く。
先月の『論座』で、大西巨人が笙野頼子の「論争」について応援するような文章を書いていたので、私は自分がいかに笙野から理不尽な罵詈讒謗を浴びているか、資料を添えて手紙を送った。ほどなく「啓蒙的なものお礼、これから考えます」(大意)という葉書が来た。とはいえ、巨人が本当に笙野の文章を読んでいたとすれば、私は『評論家入門』で書いたことを撤回しなければなるまい。山崎行太郎の文章の下品さに呆れ果ててもう相手をしないことにしたのだろう、と私は書いたが、山崎以上に下品な笙野の論争を応援するのでは、そういうことでもないようだ。見損なったよ、大西巨人。
田中和生への応対もひどいもので、だいたい『三田文学』の加藤編集長は、こんなものは載せられない、書き直してくれ、と突っぱねれば良かったのだよ。もちろんこの件では田中が正しい。ただ一つ間違っているのは、「笙野を批判しようというのではない」という箇所で、笙野をこそ批判すべきであり、また笙野のそういう恫喝的罵詈雑言を活字にしてしまう編集者をこそ批判すべきだった。私は加藤編集長に、なら私にも笙野への抗議文を載せさせてくれ、と言ったのだが、これ以上笙野の返答で誌面を汚したくないとのことで断られた。しかし、ならば笙野の回答など、回答になっていないといって拒否すればいいではないか、巽の圧力でもかかっているのか、と問うたら、巽教授は何も言ってきていない、と言い、田中の文章は「尋ねる」だったから載せないわけにはいかなかった、という。そこで、私は返答など求めないから載せてくれ、と言ったが、以後返事はない。だいたい笙野は自分が誹謗中傷を行っているくせに、自分が誹謗中傷されていると言い、自分ではあからさまに「純文学系女性(時には男性)作家」には媚びへつらい、中沢けいには文句があっても何も言えないくせに、田中が群像新人賞選考委員になってから言い出したなどとあげつらうのは、まったく呆れ果てた二重基準である。
私は近所の区立図書館で予約しておいて見に行くという日々なのだが、先日、15冊くらい予約しておいたら、出してきた図書館員が「ああ・・・多いですねえ・・・二週間ですが大丈夫ですかぁ」などと呟くように言った。この図書館員には、「本」というのは「読む」ものとして認識されていて「調べる」ための本という概念がないんだなあと思った。何しろ閲覧のための予約というのがないから、全部借り出して図書館内で見て、必要なところはコピーをとり、必要な情報がない本はすぐ返すのだ。
「わが心のよくて殺さぬには非ず」と親鸞が言ったのは、私見では別に深遠なことを言ったのではなくて、素質のない人間には殺人はできないということに過ぎない。もちろん戦争とか異常な状況は別として、日常的なあれこれから人を殺す人というのは、元来そういう素質を持っていたか、生育過程でそういう素質が身についたかである。たとえば私が、にっくきあいつを殺してやろうと思っても、できないだろう。それは私が善人だからではなくて、そういう素質がないからである。
自殺もまた然りで、そういう素質のない人には、よほどのことがない限り自殺はできない。よって、自殺する人は心が弱いとかそういうことはなくて、自殺しない人はそういう素質がなかっただけなのである。
ところで千葉俊二先生は茂木健一郎の「偶有性」という概念が、とか書いていたけれど、いったいその概念はどこが新しいのかまるで分からぬ。クオリアだってそうだが、サンタクロースを思い浮かべられるのはクオリアの働きだって、そりゃ違うだろう。サンタクロースの絵とかを見ているから思い浮かべられるんであって、じゃあストレプトコッカスミュータンス菌を思い浮かべることができるかね。
呉智英さんが未だに仇討ち制度なんて言っているのは困ったもので、最近呉さんは左翼回帰しているような気がする。だって、国家が人を殺すのはいかん、って前提を認めているんだもの。
千葉俊二先生が増補した『谷崎先生の書簡・増補版』読了。あわせて「谷崎詳細年譜」は修正した。谷崎と松子の「密通」について私への異論もあるが、これは改めて活字にしたい。ただ『谷崎伝』における明らかなチョンボが分かった。敗戦後すぐ谷崎は、『細雪』に蒋介石やロシヤ、英国の悪口があるのでどうしようかと嶋中宛に書いていて、とりあえず現行版を見てみたがやはり悪口はあることはあるので、別に何もしなかったと判断してそう書いたのだが、実は私家版からの削除があった。まあ私家版は大学図書館では明大和泉にしかないようで、当時明大は辞めていたから見られなかった、というのは言い訳で怠慢ですね。
あとがきに「文学研究において新資料による新事実の発見ほど研究の醍醐味を味わわせてくれるものはない」とあるがまったくその通りで、「作品論」とか「テクスト論」とかいって作品だけ読んで感想文みたいな「解釈」をしている者どもよ剋目して見よ、とも思うが、まあそういう人は実際にはごく一部なので…。
瀬戸内寂聴の『奇縁まんだら』が売れているようだ。日経新聞に連載されたらしいが、この日経新聞というやつ、私は自分ではもちろん実家でもとっていたことがないから、世間で「日経の連載小説が」云々と言われても、へーえ経済新聞なんかみんなとってるんだー、という感じがしている。ニフティの新聞記事検索でも日経は別枠で料金をとるから、日経の記事というのはほとんど見たことがない。
さてその『奇縁まんだら』は瀬戸内がこれまで会った作家やらの思い出を書いたもので、毎日新聞に張競さんの書評が載っており、和田周の話には驚かされた、と書いていた。和田周というのは、昭和四年に谷崎潤一郎が妻千代を譲ろうとした和田六郎の息子で、既に和田周の話は瀬戸内の『つれなかりせばなかなかに』に、小説体ではあるが書いてある。何か目新しい話でもあったのかなーと思ったら、佐藤春夫との結婚後も千代は和田が好きだったとか、まあその辺は目新しいが、それがびっくりするほどのこととは思われず、たぶん張競さんは、和田六郎が佐藤の弟子になって大坪砂男になったとかいうことを、忘れていたか知らなかったかのどちらかだろう。もっともそれは私の『谷崎伝』に書いてあるのだが、張さんはいま米国にいるから、確認できなかったのだろう。そう考えると、外国にいる人が書評をするというのは、いかがなものかなあ、と思うのである。いや、待てよ、インターネットで私の谷崎年表を見れば…。いや深く考えないことにしよう。

 

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