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意義とは?/ プロミス

[ 421] 総論 複数のプログラミング言語を学ぶ意義:ITpro
[引用サイト]  http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20070618/275142/

ネットワーク応用通信研究所 特別研究員。島根の田舎に住みながら国際的なオープンソース・ソフトウエアの開発に挑むプログラマ。家族6人で幸せな田舎暮らしを満喫している。バグと原稿の締め切りがなければもっと幸せなのに,と思いつつ,考えてみれば,それらがないならないで,別の困ったことがあるよなあと思う今日このごろ。
皆さんは「サピア・ウォーフ仮説」をご存じでしょうか。これは言語学における古典的な仮説の一つで,「人間の思考は使用する言語とそれに付随する文化に影響を受ける」というものです。もし仮に数字を3までしか持たない言語があったとすると,その言語を使用する文化に生まれ育った人間は3以上の数を認識できない,といったことです。言語学的にはこの仮説は否定されているようですが,日常生活の中では,この仮説が本当ではないかと感じる経験がたびたびあります。
例えば,私は年に数回海外に出張して講演をする機会があります*1。海外の人のほとんどは日本語を理解しないので,英語で話すことになります。私も日本人の一人として当然のように英語に対する苦手意識がありますが,理解してもらえない日本語よりは,つたない英語でも1024倍くらいマシだと思って,体当たりで英語に挑戦しています。
そこで奇妙なことに気づきました。普段,日本語を話しているときと,英語で話しているときとで,自分の性格というか態度が微妙に違うのです。日常会話(とあらかじめ準備した講演)くらいならようやくなんとかなる程度の英語力なのですが,英語で話しているときのほうが,もう少し論理的で大胆な話し方をするように思います。
プログラミング言語も,同じように人間の思考に影響を与えます。私がBASICでプログラミングに入門したばかりの中学生のころ,Pascalを学ぼうと教科書を一生懸命読んだのですが,再帰の部分がどうしても理解できず苦労したことを覚えています*2。再帰という概念が存在しないBASICによって思考が狭められていたとしかいいようがありません。同様のことは他のプログラミング言語でも発生します。例えば「本物のプログラマはどんな言語の上でもFORTRANプログラムを書ける」というFORTRANを皮肉った有名な文章があります*3。私自身,どう見てもCOBOLにしか見えないCプログラムを読んだことがあります。
このように,自分が普段から使っている言語が自分の思考を狭める働きをすることはあまり知られていない事実です。逆にPascalが私に再帰を教えてくれたように,新しい言語を学ぶことによって新しい概念を身に付けることができます。プログラミング言語はプログラミングの際に用いる重要なツールの一つですが,プログラマの思考に対して良いほうにも悪いほうにも影響を与えるということを,ときには思い出す必要があります*4。
多くのプログラマにとって,見知らぬ新しい言語を学ぶことは,おっくうで面倒なことです。新しい言語を学びたくないという理由で,従来のツールに固執することも珍しくありません。しかし,新しい世界が広がるのであれば,新たなプログラミング言語を学ぶことはそんなに悪いことではありません。考えてみれば,プログラミングの基礎になる部分はどの言語でもある程度共通です。新しいプログラミング言語の概要を理解するには数日あれば十分です。言語を学ぶことの最大の障害は,「勉強しても使わないから」ということかもしれません。しかし,LotYの考え方では学ぶことそのものが目的で,学んだことを日常的に使うかどうかには固執しません。
LotYとして学ぶ以上,今まで知らなかった文法,機能,文化などを持つものが望ましいでしょう。世の中にはたくさんの言語がありますが,これらの条件を満たしそうなものをいくつか紹介しましょう。
プログラム自身を操作するメタプログラミング機能の元祖はLispです。この機能をリフレクションと呼びます。Lispは強力なリフレクション機能を備えています。
次に紹介するのは関数型言語です。C言語でも関数という単語を使いますが,関数型言語と呼ぶときの「関数」は数学的な関数です。関数型言語では数学をベースとした計算モデルを採用しています。LispもLambda計算というモデルが基礎になってはいますが,手続き型の記述もできるので,意外に普通の言語として使えます(カッコだらけの見かけ以外は)。
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[ 422] 技術と事業を結びつける鍵--「ラボ」の存在意義を検証する:特集 - CNET Japan
[引用サイト]  http://japan.cnet.com/sp/nils2006s/story/0,2000062938,20166467,00.htm

同セッションに登壇したのは、楽天 取締役常務執行役員 兼 ポータル・メディア事業カンパニー 社長 吉田敬氏、NTTレゾナント ポータル事業本部 技術マーケティング部部長 工学博士 濱野輝夫氏、サイボウズ・ラボ 代表取締役社長 畑慎也氏の3名だ。モデレーターのECナビ 代表取締役CEO 宇佐美進典氏も含め、ラボやR&Dというテーマについてそれぞれの戦略を語った。
モデレーターの宇佐美氏が代表を務めるECナビでも、2005年11月に「ECナビラボ」を設立したばかり。これは、同氏が「経営戦略上で技術が重要な役割を持つと感じるようになった」というように、技術力が経営の行方に影響を与えていることを意味する。宇佐美氏がまずスピーカーに聞いたのは、経営の中における技術の重要度についてだ。
NTTレゾナントの濱野氏は、最近のトレンドとして「Web 2.0的な参加型の開発や、オープンソース、APIの公開といった流れが進み、多くの人がオープンにアイデアを出し合うことで新しいサービスを作る手法が主流となってきた」と話す。「技術そのものはもちろんのこと、こうした技術者コミュニティの動きをいかにして取り込むかが重要だ」というのが、濱野氏の考えだ。
一方、楽天の吉田氏は、新しい技術的トレンドはあるものの、「技術が重要だったのは、インターネットのサービスが始まった時からずっとそうだった」という。楽天はマーケティングに強い会社と見られがちだが、技術には設立当初からフォーカスしていたという。
技術の重要度がずっと変わらないという点は、サイボウズ・ラボの畑氏も同意している。ただし、2005年8月になってサイボウズが独自の研究開発会社としてサイボウズ・ラボを設立したのは、技術開発に集中するための施設という位置づけはもちろんのこと、「サイボウズのテクノロジブランドを築き上げたかった」(畑氏)という点も大きな理由のようだ。
畑氏は、「サイボウズ製品を利用しているユーザーは、サイボウズが技術力の高い会社だと感じているかもしれないが、サイボウズはマーケティング色も強いため、技術者にとってサイボウズが技術会社として魅力があるかどうかは疑問だ」と話す。例えばGoogleなどは、技術力の高さでも企業ブランドとしても知られているため、技術者の採用も買い手市場だが、サイボウズでは技術者の応募者数も多いとは言えない。「テクノロジブランドを打ち出すことで、技術者不足を少しでも改善したかった」と畑氏は明かす。
サイボウズ・ラボを立ち上げたことで、技術者の採用は「大幅に良くなったとまではいえないが、設立時の計画通りの改善は進んでいる」と畑氏。ただし、「必ずしも技術力の高い人がラボ向きかというと、そうではない」という。それは、ラボでは売上や利益に連動したボーナスなどが存在しないためだ。「自分の作った製品の売上や利益がモチベーションとなる人にとってはやりにくいかもしれない。その場合は、(ボーナスなどの制度がある)本社に紹介することもある」(畑氏)
採用面でのメリットについては、楽天の吉田氏も認めている。ただ、ラボという形態は持たないものの、「楽天としても、ブログが普及するよりずっと以前の2001年8月に(ブログ形式の)『楽天広場』を開始するなど、各社がラボと称して実験していることと同じような取り組みは継続的に続けている」と話す。
こうした研究開発や新サービスへの投資ができるかどうかは、「企業体力にもよるだろう」と吉田氏。楽天は、売上規模も大きくなっていることから、「昔はR&Dに1億円投資するとなると、売り上げに占める割合も大きかったが、今では例えば年間の経常利益の2%をR&Dに回したとしても10億円ほどの投資ができる。今後、楽天広場を始めた時のような取り組みをさらに推進したい」と述べた。
一方、ラボという特別な研究開発部隊を持つことで吉田氏が気がかりなのは、「通常業務で開発を続ける技術者が、ラボ部隊に参加できないことでモチベーションを失わないか」という点だ。
この懸念については、ECナビラボを立ち上げたモデレーターの宇佐美氏も理解を示している。実際ECナビでは、開発者がこぞって「自分もラボで開発をしたい」という風潮になってしまったという。そのためECナビでは、ラボの位置づけを「組織としてのラボ」から「研究結果を発表する場としてのラボ」へと転換しようとしている。つまり、通常の開発メンバーもラボでの開発に参加できる体制にするということだ。これは、Googleが「Google Labs」を発表の場として位置づけているのと同じだ。
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[ 423] ゲームのマボロシ: ゲーム会社の存在意義
[引用サイト]  http://blogs.dion.ne.jp/arere/archives/4816160.html

さて、前回の記事で2006年を振り返りつつ、今後の展望を書いてみましたが、あの記事は基本的にゲーム開発者に向けて書いたつもりです。
今回は新年早々の記事ということで、再度、今後の展望を書いてみたいと思いますが、今回は趣向を変えて、現場の開発者寄りではなく、開発のマネージャ寄りの方々に向けて記事を書いてみたいと思います。
既存のゲーム会社に向けた文章なので、これからのネット時代を考えると古臭いと思われる向きもあるかと思いますが、そう感じる方は「自分に向けられた文章では無いのだ」と判断してもらえたらと思います。
第一の理由として、娯楽の1つとしてゲームが求められているという、需要、市場の存在が挙げられます。この需要は、娯楽の常として、世の中の流れや技術の進歩に応じて、拡大したり、縮小したります。時には需要がほぼ消滅してしまうこともあります。
第二の理由として、生活のためにお金を稼ぐ必要がある労働者の存在も挙げられます。こちらは供給側ですね。こちらは、人間が生きている限りは無くなることはありませんから、世の中に市場がある限り、それを満たす程度の労働力は常に確保できると考えられます。
しかし働く側の視点から考えてみると、ゲーム会社への就職がお金を稼ぐための手段でしかないのなら、それは何もゲーム開発でなくても良い訳です。明日から外食産業に転職したってかまいません。現在はお金を稼ぐ手段は様々です。そういう中であえてゲームという将来が不安定な会社に就職する人は、そもそもゲームという対象そのものに興味があることが多いと考えられます。
ですので、ディベロッパーも含めればゲーム会社がこれだけ世の中に多くある現在では、ゲームに携わりたいと考えている人は、働く環境を自主的に選択します。つまり「より自分が興味を持っているゲームを作っている会社に入社する」もしくは「自分で会社を興して、自分が興味を持てるゲームを作る」です。もちろん選択基準には多くの場合「安定した生活」も含まれるのですが、それは条件の1つでしかありません。
つまり構造としては、「市場の存在」という会社が存在するための絶対条件が満たされた上で、「ゲーム」というメディアに興味を持つ開発者たちによって成り立っているのが「ゲーム会社」「ゲーム業界」ということになります。
このことから、つまりゲーム会社は2つの需要を満たす必要があることが分かります。そしてこの2つが、ゲーム会社が存在している意義だと定義付けることができます。
開発者にとって魅力的な職場を提供すること、つまりある程度の生活水準と、魅力的なゲームを開発できること。
僕は日本のゲーム業界は、少なくともPS1までは、消費者から望まれるゲームと、開発者が作りたいゲームは、ほとんど一致していたと思います。厳密にはPS1の頃から取りこぼしてきたユーザー層はあったはずですが、市場としては拡大していたので、許容範囲と言えました。
しかしPS2以降は、明らかに市場が求めるゲームと開発者が作りたがるゲームに、ギャップが目立つようになってきました。たとえば開発者の多くは、続編ではなく新作を作りたがります。これは続編ばかりが目立つ現状からすると信じがたいことなのですが、実際にはそうです。しかしPS1では意欲的な新作がブレイクすることが少なくなかったのですが、PS2からはそうした成功例がめっきり減りました。もちろん成功例はありましたので、市場が保守的になったという意味ではありません。しかし少なくとも、開発者が考える「作りたかった新作」と、市場が求める「遊びたい新作」の間に何かしらのギャップが存在した、とは間違いなく言えると思います。少なくとも、PS1の頃よりもそのギャップは拡大しました。
今になって見れば、そのカラクリは実に簡単な仕掛けでした。市場は「よし楽しく、より簡単なゲーム」を望み、開発者は「より面白く、より高度なゲーム」を望んでいた、というギャップです。DSという性能が著しく制限される代わりに、直感的なインターフェースを備えていたゲーム機によって、そのギャップがつまびらかにされました。
以前にも書いた通り、ゲームの難易度は下がり続けていますから、そういう意味では開発者は市場の需要に応え続けていたと思います。しかし難易度は下げても、ゲームの内容やシステムまで簡素化することには抵抗感がありました。それは単に開発者の欲求だけでなく、それがゲームをやり込んだコアユーザーの欲求でもあったからです。
今の時代、ゲームの開発者は22〜32歳ぐらいがもっとも開発者の層が厚いと思いますが、この世代は年少の頃からゲームに親しんできたコアユーザーが多いです。ですので開発者とコアユーザーの間には、意識のギャップは余り無いのですね。一方で、ゲームはあくまで一時の余暇と割り切っているような層とは、年々意識のギャップが拡がっています。
こうした状況は、特に自身がコアユーザーである開発者にとっては、直視しづらい物となります。その代表的な物の1つが、まさにコアユーザー向けの1ジャンルとして栄華が終わりつつあった頃のシューティングゲーム「レイディアント・シルバーガン」サターン版に収録された、ディレクターによる隠しメッセージです。
シルバーガンにおいては「シューティングゲーム」という、ゲームの1ジャンルの栄枯盛衰のみに限定された問題でした。しかし今日においては、いわゆる「より高度なゲーム」全体が地盤沈下を起こしかけているという点で、問題の範囲は非常に大きくなっています。そのため開発者による反発も、より大きいものがあります。
しかも北米というより大きい市場においては、より高度なゲームが歓迎されるという土壌ががあります。このことが問題をより一層根深くしています。実際、カプコンのように次世代機らしいゲームで海外で多くを売り上げ、成功している例がありますから。
開発者にとって魅力的な職場を提供すること、つまりある程度の生活水準と、魅力的なゲームを開発できること。
というゲーム会社が存在している意義における「ゲーム」は、PS1の時代までは同じ物を指していたのですが、PS2以降は違う物を指すようになった、という状況にあります。つまり存在意義が矛盾している訳です。ここに現在のゲーム会社の多くが経営不振に陥っている、真の原因があります。
たとえば仮に、トップダウンの力によって、開発者自身は望まないが消費者からは望まれるゲームを開発して、一時的に大きな利益を挙げたとしても、それでは存在意義(2)を満たせないので、その会社は求心力を失い、有能な開発者は会社を離れてしまうでしょう。そうすると長期的にはその会社は衰退してしまうことになります。そのような例を、私たちはすでに多く見てきているはずです。
ゲーム開発者の多くはコアゲーマー寄りであるという前提に立った場合、もはや開発者にゲームを自由に作らせればうまくいく、という時代は終わったということになります。しかし嫌々「売れるゲーム」を作らせてばかりいては、その会社は長期的には衰退します。この矛盾を解決しないと、ゲーム会社という組織は自己矛盾に陥り、存在することができなくなります。
それを解決するには、開発者の意識を変える必要があります。それも強制的な手法ではなく、むしろ開発者が自発的に市場に合ったソフトを開発するような雰囲気、考え方を根付かせるということが必要になります。それは簡単に言えば人材教育ということになりますし、少し独自の言い回しをさせてもらうなら、開発者マネジメントがより重要になる、という表現になります。開発者1人1人に自発的な変革を促すということは、人材教育という言葉だけでは括れない、包括的なマネジメント作業となるからです。
これからは、それに成功した会社が成長していき、失敗した会社が衰退していくという流れがより加速していくと思います。最新技術のキャッチアップなどとは違い、目に見えにくく、また効果がいつ出るかも分からないという点で、非常に難しい改革になると思います。しかし持続的な成長を目指すためには、避けては通れない道だと思います。
この問題をさらに推し進めると、そもそもどこまで開発者を正社員として抱え込むべきなのかという問題や、パブリッシャー、ディベロッパーの関係の再構築、最近増えてきた独立系のエース級開発者との協働などまで話題が拡がるのですが、それについてはすでに多くの方々の関心事だと思いますので、特に触れません。
繰り返しになりますが、ゲーム会社は、市場の欲求(需要)を満たすことと、開発者の欲求(生活の糧、仕事を通じての自己実現)を満たすことが存在意義です。そして今、その両者のギャップが開いてきているのが、今日の様々な問題の真の原因であり、会社が成長していくためには、そこを解決しないと本当の解決にはならない、ということなのです。 
ゲームのマボロシさんの記事に触発され、久々に長文を書いてみようと思った次第。たぶん僕はこれを書いたあとに後悔する。 (中略)そしてこの2つが、ゲーム会社が存在している意義だと定義付けることができます...
北米の年末は360が200万、Wiiが180万、PS3が85万だったようです。Wiiが予想以上に大健闘。360もやはり北米で強いなあと。1月以降の売れ方を観ないとわかりませんが、後続機との差が埋まるどころか開いていく可能性もありますね。北米市場で利益を出せるなら、開発者とユーザーの求めるものが一致しやすい北米に注力するという選択肢を選ぶメーカーが多いんじゃないでしょうか。あれれさんが言う「開発者が作りたがってないが、ユーザーが求めているゲーム」って、脳トレやWiiスポみたいな物を指してます? すぐに飽和しませんか。2、3年後には落ち着いてるんじゃないかなー。ところでピニャータが売れなかった事をどう思われますか?
>洗脳されないと・・・さん個人的には推奨しないのですが、北米重視路線はもちろん選択肢の1つだと思います。実際、それで成功している会社もありますから。最新技術へのキャッチアップができる会社なら、尚更でしょう。多くの場合、心情的には最新技術へのキャッチアップをしたいがための北米重視路線なのだと思います。技術的に(オンライン、オフライン共に)PC畑の欧米勢についていけなくなるというのは、日本のコンソールゲーム開発者共通の恐怖感でしょうから。しかしそれは僕は、一種の強迫観念だと思っているので、こうした記事を書いています。実際、どんなに技術が進んでも、それが参入障壁にはなっていない訳ですし。ピニャータについては、僕も大変注目していたのですが、残念な結果に終わってしまいました。ただ北米でもDSの一般層向けゲームにいくつかは成功を収めていますので「360はコアユーザー中心の市場」という推測も成り立ちます。しかし現状では何とも言えませんので、下手にバイアスをかけず「売れなかったんだな」という事実をありのままに受け止めるしかありませんね。
> 多くの場合、心情的には最新技術へのキャッチアップをしたいがための北米重視路線な逆にDSやWiiはキャッチアップに耐えられない企業にとっての福音として、過大に評価されていませんか? 将来的な少子化を見込めば、海外重視は当然だと思いますよ。経営サイドと開発サイドの意向が完全に一致しているでしょう。北米重視でない経営者が今いるのでしょうか? 日本が好調な任天堂でも北米重視ですよね。あそこの決算では、北米は売上高こそ大きいものの、利益は全然出ていません。そこまでしてシェアを守りたがってます。DSも安く売ってます。脳トレも19ドルで激安。宣伝費も相当かけてますね。任天堂路線を北米で成功させるには、湯水のように資金を投じないと難しい事は、みんな見抜いてると思いますよ。技術についてけなくなって没落したハドソンのようには成りたくないってのもあるのかな? 任天堂はいざとなれば、自社版権で他社に作らせればいいから、低リスクですな。
>洗脳されないと(ry さんなるほど、少子化も含めての北米重視なのですね。もちろん、それは1つの選択肢だと思います。任天堂のユーザー層拡大も、少子化対策の一環と見ることもできますね。誤解はされないで欲しいのですが、僕は日本先行論者ですが、客観論としては北米重視路線を否定しません。成功例もあるのですから。ちなみにハドソンがうまく立ち行かなくなったのを最新技術のキャッチアップに失敗したからと見るか、人気作の続編に頼りすぎて、開発者にとって魅力的な職場と見なされなくなったため、開発力が衰退したと見るかというのも、見解が分かれるところの1つですね。
大作だろうが、シンプルなものだろうが、海外だろうが国内だろうが、ユーザーの望むものを作るのは当たり前。今までこの業界がおかしかっただけじゃないですか?他の業種であります?ユーザーの望むものは作りたくないとかいってけるようなもの。もちろんニッチ需要はあるのでそういうのを目指すのも悪くはないと思います。ただし、大量に何十万本も売れてソフト単価7000円以下とか言うのが無理なだけで。昔のネオジオのような価格をつけても売れるような感じで魅力ある作品にこだわって出すべきでしょう。そうすればある程度の無理を承知の上での戦略としていろいろと取れると思います。すべて横一線の価格ってところで中身や開発費にかかわらず大量に生産、販売されなければならないから無理なだけですから。そういう転換が出来るかどうかがこの先生き残るのに重要になってくるような気がしますね。
>とおりすがりさんゲーム業界は、比較的社内政治がゆるく、また開発者自身がユーザーであることも多いことから、他の業界よりもむしろユーザー寄りの業界だと思います。しかし「魅力ある」を何をもって判断するのか、その判断のギャップが市場の大多数と開発者の間で開いているのが問題なのではないか?というのがこの記事の趣旨です。つまり開発者は、「自分が信じる価値観、考え方」に従って、ユーザーのために作っているのです。本人自体は、ユーザーのためにと思っているのです。だからこそ、難しい問題だとも言えるのですが。
んー車の設計とかしてる人たぶん車好きですよ。番組作ってる人もたぶんTV番組好きな人たちでしょう。演劇やってる人も俳優業きにいってるんじゃないですかね。どんな職種だってそういう人たちはいると思いますが。ゲーム業界だから特別ってことはないと思いますが。ユーザーのほうを向いているとはいえないです。ニッチならニッチでの水戸を探すべきです。一般の人にスポーツカーが必要ないけど、開発は続ける、値段は高いし利益は出ない、そういう感じでいいのではないでしょうか。
>とおりすがりさんどうも話がすれちがっているようです。僕はとおりすがりさんの「意見」が間違っていると思っている訳ではありません。僕は、コアユーザー的な開発者は、あくまでユーザーのためにと思って作っているが、それは現状では大多数のユーザーに向けられていない、というギャップがあるということを書いています。「ユーザーなんて知るか」という姿勢では無いのだが、結果的にはそれと同じことになっている、ということです。しかも一部の開発者からすれば、今のライトユーザー向けゲームのブームは一過性の物で、最後に残るのは従来路線のゲームだと(もちろん進化はしていきますが)考えています。もしもそうであるのなら、ライトユーザー向けゲームに安易に迎合するのは、かえって危険な訳ですから、今は我慢の時だと考えても不思議ではありません。とおりすがりさんは、今のゲームはユーザーから求められていないニッチな物(スポーツカー的な物)という前提で文章を書かれていると思いますが、それは証明された事実ではなく、各人が仮説を立てているに過ぎません。ですので、とおりすがりさんの話が間違っているというのではないのです。しかしコアユーザー的な開発者の意見が間違っているという訳でも無いのです。これは単なる考え方の違いだからです。もちろん、どちらの考え方に採るかで、将来の有利不利は変わってきますが、それはこれから証明されるでしょう。※あとワールドワイドで考えれば、北米を中心に、まだまだコアユーザー向けゲームの市場は小さくないのでから、「ニッチ」という表現そのものが妥当ではありません。
この議題は奥が深いですね…確かに日本の開発者は本当に作りたいゲームを作れない状況になっているようです、ゲーム開発をしている友人も同じ事を言っていました。今開発に携わっている人間って言うのはあれれさんの言う通りゲーム世代です、ですが彼らは現在のゲーム世代では有りません。今のゲーム世代はライトゲーム世代と言える世代で彼らの世代はヘビーゲーム世代と言えるでしょう。現在のゲームは"長く遊べるゲーム"が少なくなり"簡単で手軽なゲーム"が増加しています、これは作り手の思い描くゲームとは違うゲームなんですよね。ゲーム世代のゲームプログラマーは最近増加した知育ゲーなどを本当に作りたいのでしょうか?ミニゲーム集を作りたいのでしょうか?アンケートをとってみたいですね。。。因みに、ゲーム業界のメインは北米中心に動いてきているようです。今世代ではなく次世代ゲーム機の頃には日本の技術者は既に世代遅れになってしまっているだろうと外国のゲームプログラマーもおっしゃっておりました。もう"ゲームは日本"と言うのも過去の物になってしまっているのかもしれませんね。これからの日本ゲーム産業にゲーマーの我々は期待して良いのでしょうか?それとも北米のゲーム(俗に言う洋ゲー)へシフトしていった方が良いのでしょうか?今年の動きに注目です。
動物の森とかnewスーパーマリオとかポケモンとかFF3とかたまがっちとか、ミニゲームとか知育とかいうのとかなり違うような。これらは結構やりこまないといけないヘビーなゲームですぜ。DSが売れている原因として親も一緒に楽しめる、敵視されていないってのは大きいかと。十字キーは使えないけど、タッチペンのゲームなら遊べるという大人がかなりいますしね。ようはライトなゲームもヘビーなゲームもある広い市場だからこそユーザーが集まってる。それだけでは?
DS程度の「ヘビーゲーム」はコアゲーマーからしたら、せいぜいミドルクラス。画面もチャチだし、本気でやりこむ気にはなれない。ま、任天堂はそういう層は切ってるんだからいいんじゃないの? そういう層はPS3、360、PSPで楽しんでいるよ。ゲームメーカーはライト向けか、ヘビーゲームについてけなくなった元コアゲーマーのおっさんに向けて作るか、現役コアゲーマー+米国ゲーマーに向けて作るか、どっちかだろうね。
>ん〜さんどうぶつの森やポケモンFF3は時間はかかりますが難易度は簡単ですよ。どうぶつの森は単純作業の繰り返しですし、ポケモンも難しいゲームでは有りません、FF3に至ってはDS版はレベルが上がりやすいので極めるのも早いですよ。私は幅広くゲームをやるようにしていますがやはり最近のゲーム、特に任天堂さんのゲームの方向性には疑問を感じます。任天堂さんの言うゲームの面白さは映像美やスペックではない、と言うのはわたしも最もだと思いますが現在の任天堂さんは単純に面白いソフト=簡単なゲームと勘違いしているのではないかと最近思ってしまいます。単純=簡単ではなく単純だからこそ奥が深く極められ難しいゲームが本当は求められているのではないのでしょうか?最近のDSを見ていると発想やアイデアが乏しいように思えます、最近のDSソフトではタッチペンを使わないゲームも増えています。作りこみもどんどん甘くなってタッチパネルを本当に使わなきゃいけないのか?と疑問に持つゲームやタッチパネルの認識システム自体もう製品レベルじゃないようなソフトも増えてます…ゲームの面白さを追及する事には大賛成です、ですが現在の状況ではただ日本市場は衰退するばかりではないかと思います。
ポケモンはかなりヘビーだと思うけどね。個体値MAXに近いメタモン捕まえるのに、すでに300匹くらい捕まえてるけどまだまだだし、メタモンをダイヤモンドパールに連れてきたから個体値高いガラガラにほのおのパンチ覚えさせるためにまたエメラルドに戻ってやりこまないといけないしで(いまどき骨ガラとか古いかもしらんが)まともに対戦しようと思ったら200時間くらいかかる。つーか、まだ500匹をまだ把握してないので、戦略が変わると、一匹に数時間〜数十時間かけて育てなおしの予感がしてる。500匹集めるにしても、GBA版含めてかなりやりこまないときつい。
>子供は寝る時間難易度と画面のきれいさはヘビーかどうかは直接関係ないと思うんだけど。長時間プレイさせたものがヘビーなゲームと俺は思ってる。ウィザードリィとか開発コストはかなり少ないと思うけど、シンプルだけど長時間かけて遊ぶから俺的にはヘビーなゲームかなと。そもそもFF3とか全滅した回数からいえば難易度はFC版より上だと思うし。(FC版はガルーダの1回くらいしか全滅しないが、DS版は雑魚で全滅の可能性が高い)熟練度があがりやすすぎること、物理攻撃が強すぎること、救済されなかったジョブがまだいたこと、黒魔法がほぼ役に立たないことなど難点はある。だけど、わりと久々に作り手の愛が感じられたゲームだと思ってる。>Endymion あと任天堂のソフトは単純で奥が深いからうけてるだけでは?足して足して複雑にするのは簡単。機能を削るのは難しいことです。手軽さだけならみんな飽きてすぐにゲームやめるでしょう。ゲームに魅力があり、それを上手く宣伝しているから発売直後以外にも売れ続けているだけです。普段ゲームをやらない層のほうがたぶんシビアですよ。だめなゲームつかまされたらすぐにゲームから離れる可能性はあるでしょう。
↑↑あー、すまん。時間はかかるけどって書いてあったな。勘違いしてた。まぁ、単純作業だけじゃなく、多くの情報を整理する能力がないと無駄に時間がかかった例として受け取ってくれ。
という事じゃないか。グラフィックがチャチな子供だましゲームは遊ぶ気がしないし、「奥が深いゲーム」もレトロゲーム馬鹿がシンプルなのを好んでるだけ。
生活に何の不安も無くゲームだけしてていいならいくらでもゲームをやりこみますよいい大人がゲームなんて、って良く言われちゃいますが子供の頃からやってますので今更やめれないのですよ、やめる気もないし状況と言うのは刻一刻と変わっていく訳で、生き残りたいのなら当然努力しなきゃいけない今までと同じ作り方、考え方しかしなかったらダメなのは当たり前でしょうある程度の年代を意識するのであれば当然その生活背景をもっと考えるべき、そう言う年代は当然時間はとても限られてる、限られた時間をどう楽しませるか、どう繋げさせるか、まだまだ工夫の余地はあるはず工夫=ヌルゲー、ショボゲーにしか出来ない会社なら滅びるのは必然でしょうね
ファミコンの頃からゲームにしがみついてるおっさんが、デカい声で「俺にあわせてゲーム作れ。作れないと買わねえぞ。ゴルァ」と叫んでいる状況が証明されました!かくして日本のゲームメーカーは若者とアメリカのゲーマーに向けて作り、おっさん&ガキ向けメーカーがショボゲーを作りましたとさ。
ファミコンの頃からゲームにしがみついてるおっさんが、デカい声で「俺にあわせてゲーム作れ。作れないと買わねえぞ。ゴルァ」と叫んでいる状況が証明されました!かくして日本のゲームメーカーは若者とアメリカのゲーマーに向けて作り、おっさん&ガキ向けメーカーがショボゲーを作りましたとさ。
でも君だって何時かおっさんになるんだぞおっさんになったからって理由でゲームやめるのかねある程度の年代を意識するなら、と条件をつけてるだろうに、実際今あるゲームの殆どは20歳以上を強く意識しているように見えますけどね
>ショボゲー好きはおっさんとガキだけさん「奥が深いゲーム」もレトロゲーム馬鹿がシンプルなのを好んでるだけ。と言っておられますが私は格ゲー・シューティングFPS・パズル・RPG様々なジャンルの最新ゲームを楽しんでいますが「奥が深いゲーム」大好きですよ。今日もPSPですがシンプルで奥が深い『グンペイリバース』を買う予定です。「奥が深いゲーム」=「レトロゲーム」と言う認識は少し改めた方が良いと思いますよ、シンプルでも奥が深ければ面白い物は面白いと思います。PSPをもしお持ちでしたら駅やゲーム店の配布で無料ダウンロードできるので宜しければ試してみてください。>わるかったなおっさんでさん【実際今あるゲームの殆どは20歳以上を強く意識しているように見える】これは無いですよ、ちょっと視野が狭すぎです。もう少し多くのゲームに目を向けてみては?現在の新作棚などはどう見ても20歳以上を意識した物では有りませんよ。自分達の年代をターゲットにしたゲームは少しは出るでしょうが沢山は出ないと思います。ゲームメーカーにはどの年代など問わないゲーム作りを目指して貰えばそれで良いと思います、子供以外の偏った年代へのゲームアプローチは逆にあまり良く無いのでは。後、私も若くは有りませんし働いておりますが時間が無くとも今の携帯ゲーム機にはスリープモードが付いています、別に長時間ゲームが出来ない!などと思った事は有りませんよ?私の場合は通勤時間(往復一時間程)を利用して良くゲームをしておりますが一ヶ月でトータルすると結構時間があるものです。電車の中でゲームをやるのは嫌だ、車だから無理と言うのであればもうそれはゲームをやるのは引退した方が良いのかもしれませんね。もし私の言葉の取り方が間違っておりましたらご指摘下さい。
いえいえ、多分に感情が入ってますので大げさな表現や一方に強く言っていますので取り間違いと言う事はないと思いますむしろ言葉が足りなかったのは私の方なのでこちらが謝るべきかと思います、申し訳ありませんでしたそうですね、はっきりと言葉にして伝えるのはとても難しいんですが今後は20代前後、あるいは30台までが主だったゲーム層になっていくと予想しているのですよ当然その層が主になっていけば今までのようにTVの前に座って遊ぶ時間は激減する訳です、既にその兆候はある訳で、今の携帯ゲーム機の勢いも先っぽは間違いなくそこにも繋がっているわけです更に言えば今は子供だって忙しいのです、塾やら何やらでTVの前に座る時間は減る傾向にあると思いますきりが無いのでここまでにしてしまいますがそう言う状況が迫っている(と思っている)のに対応する動きがないなぁ、と思っている次第です携帯ゲーム機だけで果たしてそう言う流れに対応し切れるのか、さてどうなるのか?現状は受け手である私は期待するしかないのですが長文失礼
7〜8年前くらいに見た報道で全社員にいきなりパソコンが配備されてパソコンを目の前にベテラン社員が「こんな物で仕事できるか!」って嘆いている報道を思い出しました。
根本的に何か思い違われている様なので補足します言っておきますが簡単なゲームにしろとか難易度を下げろとか、そう言う話をしてる訳ではありません自分も四捨五入すればもう30歳ですが今でもバリバリゲームしていますし最近のゲームは簡単すぎると思っている位です、しかし簡単な割には時間ばかりかかるゲームが多いように感じているのですこれから主だったゲーマー層が使える時間が今より限られる方向に向かっていくと考えている私にとってただ単に時間ばかり取られ実の少ないゲームのままでいいのかな?と10年ぐらい前からずっと考えているのですみなさんはどう思いますか?
>皆様すみません、嘘くらい言い訳ですが、またまたノートPCの液晶が割れまして(泣)、ブログを更新できませんでした。コメント欄の議論にも乗り遅れてしまいましたね。また、ぼちぼち更新します。
アイドルマスターとか美少女ゲームは日本の独壇場だよ。こういったゲームを輸出するには膨大なテキストを翻訳しなくちゃいけないし、そもそも西洋人の感性に合うかどうかという問題もあるけど、アニメが海外で受けてるんならこういったゲームもはやる可能性があるんじゃない?げんにYouTubeではアイドルマスター輸入したいって人結構いたし。

 

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