つくづくとは?/ セントラルファイナンス
[ 345] 最近つくづく思うこと - My Life Between Silicon Valley and Japan
[引用サイト] http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070614/p1
たとえば小林秀雄や司馬遼太郎といった故人の作品を読み返すとき、彼らはネット上に溢れる無数の読者の「作品に対する感想や批判(ときには罵倒)」を読む機会を得なかったんだなあと思い、現代に生きる幸福を痛感する。 ネットは社会全体を相手にするのだから、ある意見に対する賛否両論は当然だし、誤解も生じるし、ときに批判は激しい。でもそんなこと以上に、嬉しくわくわくすることがある。それは、自分が書いたことが(たとえたった一人であれ)見ず知らずの人の、あるいは身近な意外な人の、心を動かすことだ。そしてそのことが直接わかることである。そんな素晴らしい経験の可能性が、いま誰にも開かれようとしている。 結局「モノを書く」ということは、それを読んだ人の心に何が生じたのかということにその意義は尽きるのであって、書いた人と読んだ人とが直接リンクを持ち得ることの意義は何をも上回る。批判からもたくさんのことを学ぶことができる。過去の大作家だって、いくら本が売れようと、素晴らしい賞をもらおうと、大先生として編集者や出版社から崇められようと、これだけは経験できなかったのである。だから僕は現代を生きる幸福を噛みしめながら、毎日延々と、むろん厳しい批判も含め、自分が書いたことに対する反応や感想を読み続けている。 2007/06/14 11:13 イナゴ問題に限らず、今の日本の人間関係不全を解くための鍵はここにあると思います。梅田さんなら、必ずや何もも書かなくても真意は汲み取って頂ける者と思います:---批判ばかり受けて育った子は非難ばかりします敵意にみちた中で育った子はだれとでも戦いますひやかしを受けて育った子は恥ずかしがり屋になりますねたみを受けて育った子はいつも悪いことをしているような気持ちになります心が寛大な人の中で育った子はがまん強くなりますはげましを受けて育った子は自信を持ちますほめられる中で育った子はいつも感謝することを知ります公明正大な中で育った子は正義感を持ちます思いやりのある中で育った子は信仰心を持ちます人に認めてもらえる中で育った子は自分を大事にします仲間の愛の中で育った子は世界に愛をみつけます【アメリカインディアンの教え】 2007/06/14 19:46 いつも楽しみに拝見しています。梅田さんの著書や日記は、僕の心を強く動かしました。僕が本を読むのは、ブドウ畑から心の拠り所を摘み取る様な作業なのですが、特に梅田さんの悲観主義と楽天主義の話には大きなチカラを貰いました。この二つは対角線上にあると信じて止まなかったので、この日記を見たその時から、日々の心持ちが更にチカラの溢れるものになりました。これからも楽しみにしています。 2007/06/15 00:48 ネットが存在している以前にも手紙などの手段はあって、熱烈なエネルギーをもった人はそういった手段で作家に感想や批判を伝えてました。ネットができてからは、そういったコミュニケーションがとりやすくなったのでエネルギーを持たない人でも物が言いやすくなり、結果的に意見はより玉石混合になった。つまり、意見の数が増えたというだけなのでは? 2007/06/15 02:06 完全に失ったこともある。それは時間に余裕を持たせ文章を何度も考え噛み締めることだ。書いたものへ対しておびただしい時間を積み重ねて繰り返し考えること。それは作者への尊敬の念だったとも言える。そして、ファンレターを手で書きながら涙して文字が滲んだり、書いているそのうちにやはりまだ少し感想を書くのはやめて、実際のその場所へ行ってみようなどといった経験から綴られたファンレターや感想で、作者も同時に書くということを瞬間的ではなく、味わっていただろう。私たちはwebで、極めて豊かだった思考を繰り返し、自分を見つめる時間をもしかたら失ったのではないかと思う。webは距離と時間を縮めたが、それによって失われたものもあるのではないかという視点を持てない、または利点しか述べられない姿勢が梅田さんには多いけれど、それは冷静と言えない意見だと思う。しかし、ビジネスとしての視点であれば、それは正しい。だが、ビジネスとしての視点で物を書いているのであれば、この文章は全て広報であって、私情ではなく市場を意識しているだけだと僕は思う。 2007/06/15 07:50 小林秀雄なら上記を聞いたら、「ソクラテスのパイドロスを読んだことあるか」と返すのではないでしょうか。講演「本居宣長」でパイドロスを引きながら、言葉がなかったころのことはさぞかし不便だったろう、と今の人は思うかもしれないが、そんなことはないよ、諭しています。 2007/06/15 07:59 いいですね。ネットによって、意見を発することに対して敷居が低くなって、以前よりいろんな角度からの意見をそれを取り込むことができるようになった。そして書き手はそれを消化吸収して、次のステップに反映させることができる。お互いに成長する。素晴らしいことですね。 2007/06/15 08:50 おぞましい。そうやって一番効率的に圧倒的に優位に立とうとしているだけで、それでも、私は誰も、けなしていないと言い切るのは、何かのギャグか、何かとんでもない不都合な事を隠そうとしている反動なのではないのか。そうでないと、そこまでしない。そんなものは、生善説でも何でもないだろう。Gはやるべきことをちゃんとしているから、生善説を唱えても破綻しないだけで、(理想が高い事は良いことだ。)後から悪意に気づいて、対応するというのは、何が違うといえば、ただ、能力が無いという事が証明されるという事のみだ。その境界面を突き抜けられないとしても、出来ないものは出来ないと自覚するだけでいい。運動会で全員が褒め合い、1位なるのは可笑しい。何の文句や疑いを掛けなくても心配も無しに、おいしいレストランで食事が食べれるのは、きちんとやるべき事をして、運がよかったからだけだ。その裏でどれだけの人が餓死しているのかを、良いレストランでは忘れられるのは、メリットでもあり、デメリットでもある。闇雲にただ自分が死にたくないという理由から、ハンデも考えずに、ただ有利な手だけを選んで打つ奴が居るから、激しい抵抗が起こるわけで。その抵抗を無くしてしまったら、真理などきっとあっという間に跡形もなく吹き飛んでしまうだろう。イナゴを殺虫剤で殺してしまえば、益虫さえ根こそぎ消え行くのは当然で、その先はきっと誰も居なくなってしまう。林檎農家の名人のように、酢程度で、コントロールする事は、無駄では無いとも思いますが・・・結局は、おいしい林檎がなる事が、真実(まことのみのり)だ。そうすれば、虫も木も生き続けて行ける。 2007/06/17 23:26 イナゴ(私を含め)の感想など読まなくて彼らは幸せだった、そして正解だったと思っちゃう訳です。真のクリエイターは唯我独尊でいい。我々の雑音などに心を惑わされるべきではない。2ch辺りの雑音を気にしていたら、誰も何も出来なくなってしまう。誰もがスルー力が高い訳ではなく、むしろクリエイティブな人ほどスルー力が低いと思うので。 南方熊楠は大学予備門中退である。宮本常一は師範学校卒。一応大学は出ていても独学者の歩みをつづけた人には柳田国男、折口信夫、白川静の諸氏がいる。これらの人々の特徴は「他人の真似をするのが大嫌い」だという点にある。世間のありふれた賞讃には目もくれず、光栄ある孤立の道を選ぶことをためらわなかった。(日経新聞5/31/08) 今はみんなが才能のある人を探してるんだから。才能が埋もれてる、なんてことはない。動かないで何かをなした人間はいません。(「漫画家アシスタント物語」p297) 小説家にとって最も大切なのは、ともかく家から離れないことだ。家にさえいれば、取り敢えず書くための最低条件が整ったことになる。それにはガーデニングの趣味が最適だ。なぜなら、うっかり家を明けようものなら、それまでのせっかくの努力がむだになってしまうからだ。(「安曇野の白い庭」p13) 私は常に上を狙いたい。誰も見たことがない作品をものしてみたい。そうでもしないことには、ばかばかしくてやってられない。とはいえ、一日は二十四時間ある。たっぷり時間が余ってしまう。この余った時間をどう過ごすかに作品の出来不出来がかかっている。(「安曇野の白い庭」p13) どうして一日に二、三時間程度の執筆しかしないのかと訝る者がいる。(中略) かれらはこの仕事の性質と本質がよくわかっていないのだ。いや、人間の頭脳の限界というものをまったく理解していないのだろう。ぎりぎりまで集中し、頭をフル回転させたら、せいぜい二、三時間がいいところだ。(「安曇野の白い庭」p12) あれくらいの長い年月を費やさなければ、これくらいの作品は書けないのだということが、また、この喜びを味わうための四十数年の助走であったということが実感された。(日経新聞4/20/08) ぶっ飛んだ小説を、原始的で、呪術的で、異常なまでの吸引力を秘め、それでいながら格調の高い大叙事詩のごとき長編小説を無性に書きたくなった。膨大な資料を読みあさりはじめたのが二年ほど前だった。そして、昨年の暮れに千三百枚を脱稿した。(日経新聞4/20/08) 日本が最も日本らしく、底抜けに自由で、生き生きとしていた室町時代を背景に、かの有名な「日月山水図」の屏風絵と、それを描いた作者が不詳であることを想像の起爆剤に用い、極めて大胆な発想によって、小説の原点とも言うべきめくるめく物語を構築し、かつてどの書き手も為し得なかった形式と、漢語と大和言葉との融和を図る文体を存分に駆使しなければならない、新境地だった。六十代に入ってまもなく、今ならそれが書けるという自信を得た。(日経新聞4/20/08) 四十代後半に狙いをつけた長編小説があった。テーマも構想も充分だったが、敢えて書かなかった。なぜなら、その大空を飛翔するだけの翼の力が具わっていないという自覚があったからだ。(日経新聞4/20/08) 「塞翁が馬」という故事がある。(略) このように人生の吉兆や禍福は簡単には定めがたいことを、述べたものである。私の場合もその通りで、当座は不運と見えたものが長い目でみると、むしろ幸運だったと思う場合が少くない。この年まで生きながらえると、人生は最後まで勝負の決まらないマラソンのようだとつくづく思う。(日経新聞5/1/08) 私は五十歳近くなって物書きになった。終列車の最後尾の車輌に飛び乗って、やっと間にあったという思いであったが、それも、考えようによっては、不利とばかりはいえなかった。(略) 柳田の弟子たちの間には、柳田批判を許さない雰囲気があった。(略) しかし時は氏神である。(略) その頃になると、柳田の威を借りた弟子たちの力もおとろえ、黙殺されることなく、かえって賞賛される始末であった。(日経新聞5/1/08) 才能を磨かず、才能を育てずして、注文のまま書きつづけていると、けっして卵や雛以上には成長せず、時間の問題で朽ち果ててしまうのは自明の理である。(日経新聞4/20/08) こんな手はいけないという心理的なくびきがなくなり、新手に挑む気風が将棋界に広がっている。もう出ないと思っても新戦法は現れる。将棋は奥が深い。(日経新聞4/8/08) タイトル戦を見て、これはいい手、これは悪い手、あーだこうだと言うのは楽しいのですが、集中度、真剣度が違う対局者の読みに勝てないことはわかっているので、虚しさも感じます。「負ける」という恐怖がある対局時と、気楽な観戦時では考える手や、感じ方が全然違ってくるので、仮に実戦より優る手を見つけたところで、あまり意味を持ちません。(渡辺明ブログ3/28/08) |
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