セフィーズとは?/ セントラルファイナンス
[ 328] 歩きながら話そう: ピュグマリオンあるいは自作への愛
[引用サイト] http://walk.gonna.jp/blog/archives/2007/05/post_578.html
写真のCDはラモーのバレエ『ピュグマリオン』(1748年初演)。左は今はなき仏フナックから出ていたニケ盤の写真で、のちにヴァージン・ヴェリタスから再発売された(国内盤はまだ現役)。右のクリスティ盤(廃盤)の油彩には動き出した彫像と驚くピュグマリオンの姿が描かれている。 題材はオウィディウス『変身譚』による。キュプロスの男ピュグマリオンは現実の女たちが欠点だらけなのにうんざりし、独身をとおしていた。かれは自宅にこもって理想の女の姿を象牙に刻み、生身の女ではありえないほどの美しさを与えた。そして生きているように見えるその彫像に、作者みずから恋をしてしまう。この美しい乙女がわが妻であってくれたらと。 かなわぬ恋に悩むピュグマリオンはウェヌスの祭典の日、女神に願いを告げる。女神はそれを聞き届けた。家に帰ってみると乙女の像は命を吹き込まれており、象牙は柔らかくなり、ピュグマリオンの口づけをうけて頬を赤らめるのだった。女神はふたりの結婚に立ち会い、ピュグマリオンはみずから刻んだ彫像と結ばれたのである。 ラモーの『ピュグマリオン』は短い一幕もの挿入バレエで、当時の宮廷バレエ作法に則り声楽をともなう。ピュグマリオンの嘆きのソロ、女神のアリアが美しい。彫像は第3場で動き出し、ここはどこ?わたしはだれ?どうして動いているのかしら…などと歌い始める。ガヴォット、メヌエット、タンブーランなど楽しい舞曲がつづき、命を与えられた彫像もともに踊る。フィナーレは愛を讃える華やかなコントルダンス。 オウィディウス作品はあっさりした内容だが、別伝ではウェヌスが彫像にガラテアという名を与えたことになっており、ウェヌスの息子クピド(アモール)が登場する場合もある。ピュグマリオンはキプロスの王であったり一介の彫刻家であったりするし、彫像も象牙でなく大理石だったりする。いずれにせよ理想の美の追求、自作に溺れる芸術家、動き出す彫像といったモティーフは多くの人々を魅了し、さまざまな作品が産み出されてきた。 主人公が彫刻家なのでロダン始め彫刻作品も多い。絵画作品ではフランスのジャン・レオン・ジェローム(1824-1904)のふたつの『ピュグマリオンとガラテア』(上)がよく知られている。(かれは彫刻の名手でもあるので彫刻ヴァージョンも遺されている。ちなみにかれの『サラ・ベルナールの胸像』は名作である。)作品は正面からのものと背中からのもので、白く冷たい彫像にあたたかい血がかよっていくさまが描かれている。どこかエロティックでスキャンダラスな雰囲気が漂う。かれにはラモー関連だと『アナクレオン、バッカスとクピド』という作品もあるが、そちらは古典的なたたずまい。 ラファエル前派のエドワード・バーン=ジョーンズ(1833-1898)にもピュグマリオン・シリーズがある。ジェローム作品ほどのエロティシズムはなく、こちらは神秘性や一途な愛を表現しているようにも感じられる。次にフランス古典主義のラグルネ、ジロデ=トリオソンと装飾的(ロココ的)なブーシェをならべてみたがどれも彫像には見えず、言われなきゃピュグマリオンとは気づかないかも。面白いのはポール・デルヴォーの作品(下)で、男女が逆転している文字どおりの倒錯の世界。となりのマグリットは虚空に絵を描くさまが面白い。これこそがじつは、物語の本質かも知れないのである。 この物語の舞台を20世紀に置き換えたのがバーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』で、それをミュージカル化したのが『マイ・フェア・レディ』。下町の娘を淑女という「作品」に仕立て上げていくヒギンズ教授がピュグマリオンに擬せられている。自分の理想とする女を創りあげるという主題は『源氏物語』にもあり(「若紫」のことです)、サドにも谷崎潤一郎(これは失敗例か)にもある。どれも男の勝手。ろくなもんじゃないのだが、夢見る男もいる。 |
[ 329] 美しい心・美しい日本語・ことばに心をのせて スペースU:2007年04月
[引用サイト] http://spaceu.exblog.jp/m2007-04-01/
稽古に入る時、大将・大島宇三郎に「いつも通りの一生懸命さでいい。でも、今までのままの芝居では駄目だぞ」と謎掛けされました。 アンドロマックのために命がけで、仕え、彼女と彼女の宝である王子の命をなんとしてでも守り抜くために、必死に、しかし冷静に頭脳をフル回転させ、全てを受け止めて、見守り、時としてはなりふり構わずしたたかに…。 人に比べると、不器用でゆっくりズムですが、私のこの遅すぎる発見は、私に取っての小さくて大きな一歩でした。 オウム真理教事件と大変大きな天災・人災が続き、当時TVのレポーターだった私は東奔西走の毎日でした。特にオウム事件では、約8ヶ月間毎日中継をし、徹夜や長距離移動の日々を送り、役者としては全く活動ができない状態でした。 そんな時、大きな出会いがありました。大島宇三郎氏、ウサさんとの出会い、すなわちスペースUというワークショップとの出会いだったのです。芝居・演劇に餓えていた私は、当時毎日いた南青山総本部前からの中継を終えると、週三回のワークショップに嬉々として参加し(翌日の取材がない時に限りですが・・・)、思いっきり身体を動かし大声をだし熱気と汗水のなかで、演技することの喜びを初心に帰って楽しみました。レポーター稼業のストレスを発散し、自分が本当にやりたいことはやっぱり芝居だと感じていました。 戯曲「アンドロマック」との出会いです。遅まきながら初めてのギリシア悲劇との出会いでした。膨大な台詞の量とテンションの高さとスケールの大きさに圧倒されながらも、これがサラッとできたら・・・!?なんて無謀なことを考えながら、この台詞劇との闘いが始まったのです。もしあの時、ウサさんとこの戯曲と会っていなかったら、役者羽田真は今日存在せず、幸福な日々を送っていたかもしれません・・・・!?いえいえ、とんでもない今が幸福です。だって、ついにお客様の前でこの芝居に初挑戦しているのですから!! あれから、12年、ワークショップのメンバーも大きく入れ替わり当初からいるのは3人だけとなりましたが、新しい素晴らしい仲間と共に、今また言葉の洪水のなかでもがき楽しむ毎日です。そこに山があるから登ると言ったクライマーがいましたが、まさにそこに台詞があるから喋りたい、生きてみたいそんな芝居です。しかもベニサン・ピットです。舞台は整いました。後は退路を絶って進むのみ! 今日一番緊張していたのは、台詞が超多い主軸のメンバーと、そしてそして、誰より我らが大将、大島宇三郎氏だったに違いない!! まだまだ、個人個人は課題やこだわりや、追求したいものがたくさん有ると思いますが、自信を持ってお客様にお届けできる、熱くて重厚な作品になったって事なのでしょう!! 裏の公園の桜はつい先日まであんなに満開だったのに今は、風が吹いたときだけ、ヒラヒラと舞い散る花びらが桜を思い出させてくれるだけ… 今夜は稽古打ち上げ!風邪か、台詞の多さに対しての悲鳴なのか、喉が痛んでる者が多数!元気をつけようと、いつもの、入口に象の置物がある中華屋さんに行ったが、満席で入れてもらえなかった… |
セントラルファイナンスのサイトです。