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存在とは?/ セントラルファイナンス

[ 19] 大学における準ひきこもりという存在 - Discommunicative
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/todesking/20060425/p2

非コミュ非モテネタが三度のメシよりも好き、しかも情報収集能力が極めて高いはてなダイアラーがこれらの資料に食いつかないのが結構意外なのだが、みんな気づいてないだけなんだろうか?
健康で、大学の成績も優秀であるし、車の免許も持っている。学校と家を往復するだけで夜遊びもしない真面目な子に育った。このままきっと社会人になって安定した人生を歩んでくれると、親は彼(彼女)の将来に希望を抱いてさえいる。しかし卒業を控えた時期になって初めて、親は自分の子のことをわかっていたようで、わかっていなかったことに気がつく。最終的に彼(彼女)は社会に適応することができないのである。一見適応しているかのように見え、期待を抱かせるだけに始末が悪いと言える。
大学にはきちんと来ており、単位もしっかり取れているので適応していると思い込んでいたのであるが、大学という誰とも関わらずに過ごして行ける環境の中で、偽りの適応を示していただけのことで、ライフスタイルの本質はひきこもりと何ら変わりはない。中学や高校のようにクラスが固定されている場では、仲間の輪に加われないことがプレッシャーになったり、いじめにあったりするが、大学ではそれがない。彼にとって大学への登校とは、毎回講演会や映画に行くようなものであり、気軽にできていたのである。
アルバイトに精を出す大学生というと否定的に見られがちだが、準ひきこもりの大学生よりはましである。
他の学生から受け入れられず孤立しているという共通の境涯を絆にして同じ準ひきこもりの学生(キャンパスの孤立者)と一緒にいることがある
若者らしい溌剌さ、元気の良さがなく、暗くよどんだ雰囲気を持つ。外見には自信のなさが滲み出ている。気軽に声をかけづらい独特の雰囲気を持っている。長年孤立していると、こうまでいびつになってしまうのかと驚嘆するほどである。(引用者注:ひどすぎる(笑))
これを読んでどこかで俺を観察してる奴がいるなと思ったはてなダイアラーの皆さんは大勢いると思います!樋口康彦先生の分析が的確すぎ!でもなんか言葉の端々から「非コミュ死ね」オーラが出てる気がします(><)
準ひきこもりの存在率について筆者の印象では、10 人に1人というほど高率ではないが20 人に1人というほど低率でもないといったところであるなんて恐ろしい記述があったり(偏差値や学部によって傾向は異なるんだろうけど、確かにリアルな数字だという印象が)、準ひきこもりへの対策として、「ボランティアやサークル等で社会性を養うのが有効だが気づいたときにはもう手遅れ」なので、本来の能力からすると、ホワイトカラー関係の仕事が十分可能であるが、社会性の方に大きな問題を抱えておりブルーカラーな仕事しか勤まらないだろうといった絶望的な結論が非常に説得力たっぷりに記述してあってぎゃーっ、ぎゃーっ。もう嫌だ……
>これは さんただ現象を説明している用語を、ネガティブに感じるからといって”差別”と捉えるのはどうかと。その用語を使う人間がどんな文脈におりまぜるかによって差別的かどうかが決まると思います。用語それ自体はイノセンスですよ。
大学じゃなくてホワイトカラーの会社でも通じますね。概ねメンバーが固定されているけど、輪に入れないことが学生時代ほどには苦じゃなくなるので準ひきこもりのまま仕事だけは真面目におとなしくこなしていく。真面目だから仕事は出来るけどコミュニケーション不全のせいで頼られたり人望を得ることは無い。そうして日々が過ぎていく。
なんつーかね、この論文は論文としてはアレすぎるけど、「見出し、名づけた」点においてはかなり評価されるべきだと思いますよ。すごい観察眼だと思う。
そのブルーカラーの仕事も農業や造園業、工場の現場作業を引き合いに出しているけど現実には農業や造園業の就職口なんて滅多にないし、工場の現場作業も今は派遣や契約、バイトなどの不安定な非正規雇用ばかり。工場で正社員になれるのはきちんとコミュニケーションがとれるリーダー候補だけ。準引きこもりは社会に出ても定職にも就けないことを間接的に述べているのだろう。学生時代はまさに準引きこもり、社会に出てからもどこへ行ってもコミュニケーションがうまくとれずに正社員にもなれず職を転々として三十路を過ぎた社会不適合者の戯言でした。今は工場の現場で生産機械のオペレータの契約社員。この論文を初めて見たときは「俺のこと言ってんのか?」と思った。
自分の事を言われてるようでドキっとする人多いみたいだけど、論文としての説得力を考えた方が良いよ。はっきりいって著者の偏見でしか論文を書いてない。ニートって言葉も独り歩きしてるってのに、新たな差別用語生み出した事のどこに価値があるの?
今まで表立って取り上げられなかった種類の人を、歯に衣着せずに分析してるのは偉業と思える。筆者もショック受けてるんだと思うよ。内心そういう人に期待してたんじゃないかな。だからこそ「何でそうなっちまうんだよ!」って感じるんだろ。一歩違えばポジティブ方面で輝いてただろうなーって感じの非コミュは大勢いると俺も思うもん。
非コミュにも大きく分けて二種類いるとおもう。一つが、どこかで何かのきっかけで躓いた者。それこそ上のコメントの「一歩違えばポジティブ方面で輝いてただろうなーって感じ」の者。逆に言えば何かをきっかけに元に戻っていくことも可能。論文にも自分を変えて適応できるようになる者もいるといったことが書かれているけど、それがまさにこのタイプ。もう一つは、元々孤立する素養を持って生まれた者。独り好き、内向的、一人で黙々と物事に没頭するのが好き、興味や関心の方向が周囲と大きくずれている、物事に対する視点のピントや感性も周囲と大きくずれている、マイペースで周囲に合わせるのが大の苦手(合わせようとしても気が付けば独り歩き)など。小さい頃から「変わり者」扱いされ、学校でも集団生活に馴染めずに孤立。根っからの孤立気質なのでどこへ行っても溶け込めずじまい。後者こそが真性の準引きこもりではないだろうか
ひきこもり自体に対人恐怖や適応障害といった精神疾患的なものから正常人までを含んだスペクトラムであってひとくくりにはできないかも。精神疾患は脳の問題(内因性障害)、周囲環境の問題(外因性障害)、心の問題(心因性障害)、性格の問題(人格性障害)に分かられていてひきこもりと一口にいってもそれぞれ抱えている因子は違うし、社会機能的な面も個人差が大きい。基本的な話しとしては内因と外因は薬物・心理療法がよく効くといわれているが他は……その人しだい。 就職活動はしないが単位はとって卒業できるという指摘は心理社会的な機能と知的機能IQの解離があるということに筆者は気づいたんだと思う。 一見全く正常で成績もいいが社会性の欠如が著明ということに問題点があるのかもしれないけど、こういう場合人格レベルの障害があって職場を点々とするなんてことはよくあるから本当に正常なのかな?ってのはちょっと疑問。 でも、まあ病気かどうかってのも結構あいまいで、いい職場がみつかってうまく続けられたら病気とはいわないから実際問題むずかしいわな。準ひきこもりの定義をもっと正確に「精神疾患がなく大学も卒業したが社会的な適応が得られずそれが長期にわたっている。」とかしないとちょっと曖昧よね。
批判だけなら誰にでもできるし、新たな何かを発見したわけでもない。解決に向けた具体的提案も無い以上、これは論文ではない。テーマを見つけたくらいか。
対人関係でストレスを抱えうつ病になって自殺するよりかは社会に適応しているといえるのではないだろうか。会社の駒としては役に立たないかもしれないが。
それってそんなに問題ですか?準ひきこもりだって、大体の人は結局いやいやながらも働かなければならない。誰とも深い付き合いはなくても、大学の時と同じように真面目に地味に働いて、多少孤立しながらも自分の世界で静かに生きていくのはいけない事ですか?そういう生き方はしてはいけませんか?社会はそんなに甘くないというのなら、物静かな人は今の自分を捨てるか、覆うか、そうでなければリタイアするしかないのですか・・・
名前がないので「上の人」と表記させていただきますが、問題があるだけで生き方をしてはいけませんとは誰も書いてないし、>物静かな人は今の自分を捨てるか、覆うか、そうでなければリタイアするしかないのですか・・・準ひきこもりに限らず社会的な面で何らかの問題がある方はそのようにして生きていると思いますが。貴方の意見はまさに「自分は悪くないんだ!」と駄々をこねているように感じます。
これを”論文”だと思う人は大学に遊びに来てるとしか思えない。自分が不快に思った事をそれらしく纏めた感想文(しかも特定の立場の人間をこき下ろす悪質なもの)という事は認識すべき。大学の講師という肩書きに騙されて有り難がるのは止めた方がいいですよ。ま、こんなのが論文として紀要に載る大学なんてたかが知れていますが。
上でもちらほら指摘されてますが、この筆者、アカデミシャンとしてあまりにも水準が低すぎますね。読み物としてのおもしろさは認めるが、研究者として発表すべき代物では到底無い。「〜〜国際大学 社会コミュニケーション学科」とかの学士論文かと思った(笑)
確かに「これ学生の論文か?」と最初思った・・・でも自分もこの「準ひきこもり」かも。(大学では友達がとうとう出来なかったし、今でもひきずってるわ))社会的にホワイトカラーは無理って(汗)稼げれば基本的にはOKですが後はプライドの問題か・・・(それが一番問題?)
私は単位数と成績ではほぼ問題なく4年で大学を卒業して、約8年の歳月を経たものです。論文内に描かれている例にもれず4年生の頃は就職活動はほとんどしませんでした。友達は、けっして多くはなかったですが、夜遊びする仲間は「大学以外のつきあいで」多少いました。確かに大学内やクラスにはなじんでなかったという点は例に当てはまりますが。。卒業後はずっとアルバイトや派遣社員でつないできました。「ひきこもり」という言葉と現象がとりざたされて久しいですがこんな自分の状態はいったいどういうのだろう?とずっとぴったりくる言葉(症例?)を探していたように思います。自分の生活態度に疑問を持ち、でも変化しないという焦りからも何度か心療内科に通ったこともあります。その時つけられた診断名は「適応障害」でした。でもなにかこの名前があてはまらない感じがありました。「適応障害」というほど目だって問題が顕在化していない、かといって、「治る」という明確な指標が自分にはまったくないといった「絶望感」にちかい感覚がありました。そして今もあるのですが。。とにかく、この論文は私の学生時代の生活史を読んでいるような感覚を抱かせるくらいに自分に当てはまってるなーと、重たい気持ちで読ませていただきました。私の場合は、現役時代から自分のひきこもり傾向には気づいておりました。はっきりと気づかされたのはアルバイト経験からでした。高校生の子でも気づくような機転が利かないと上司から注意されたりとか、人と話すのが苦手だからと極力接客のアルバイトは避ける自分に気づいたりしたときからでした。先生の対策項目として、アルバイトをするとありましたが私の場合、準ひきこもり傾向に気づき、さらには強化してしまったのがアルバイト経験でした。これまではなんとかアルバイトに派遣でつなげてきましたが、年齢を重ねるほど不安は増大するばかりです。この論文を読んでみたところで、いや、読んだからこそほんと、どおすりゃいいのという不安の感覚が強化されてもいます。そして、自己中心的と言われるかもしれませんが、ひっかかったことがあります。それは、「社会化」の基準は何なのかがこの論述の中では具体的な事柄が言及されてなかったのことです。私も、アルバイトや派遣という身分ではありますがそれなりに仕事を通じて社会人との接触はあります。その中で最近感じていることは、「正社員」の身分の人でも、これはちょっと・・・という人がかなりいるなと感じることです。こちらが非常識だと思っていても平気でやってしまう人、他の人にとってはどうでもないことでも別の人にとっては問題行動(言動も含めて)だったり。。あるいは「文脈交差的な波」に対して過敏であることも「準ひきこもり」の診断基準なのでしょうか?
ちなみにこんな本が先日発売されました。「準ひきこ森 ―人はなぜ孤立するのか―」,樋口康彦著,講談社プラスα新書
教えてくれてどうも。そういやこないだの新聞記事で新書出すとか言ってたなー樋口先生。それにしてもなんというネーミングだ……
正しくは「人はなぜ孤立してしまうのか?」でした。まー,どーでもいいけど・・・・・・。私は買ったけど,とにかくすごいですよ。ぶっ飛んでます。樋口先生って・・・・・・大丈夫なのかなあ・・・・・・。中途半端じゃないところが魅力ですね。
社会で期待されている男性役割って記述がすごく引っかかったのですが。なんていうか、女性はなんなんだって感じです。こういう所今時古いのどうかと思いますが。
この論者、「ADHD」や「アスペルガー症候群」、「高機能自閉症」などの軽度発達障害を完全に無視してるな。そういったものの知識ゼロで書いてるなら、学者として終わってるし、意図的に無視してるなら、学者として最低。いずれにせよ、一顧だにする必要なし。ADHDで通院中の俺が言うんだから間違いない。
就職とかコネで最初から決まってるジャン。中には就職活動しないのもいるけど、大抵はやってもコネがないから就職しないんじゃまいか?そういうことを理解してない学者様が適当に目のつくコニュニケーションあげて面白おかしく引きこもりが悪いって責任転嫁してるだけと思うけど。
『準ひきこ森』読んだけど…「(携帯電話)持っていても誰からも連絡は来ない。準引きこもりはその不思議な力で現代最強のコミュニケーションツールを物言わぬ金属に変えてしまう」には笑ったw「たまに、ゼミの連絡等で女子学生からメールがあると、それを削除せず自分へのラブレターでもあるかのように大事に残していることがある」まさに俺がやってることでワロタ
とうてい論文とはいえないしこんなんで新書として出版されちゃうのかという…過激な描写は「著者本人の怯え」を表しているようで、感情的になりながらもよく最後まで書きましたな、と。本人が一番危ない?ように見受けますが彼の実生活は大丈夫なんでしょうか。
ああ、まさにおれのことだと思います。元々孤立タイプなんで。でもこの本ってひきこもり系の人への薬にはならないって思います。ようするに個人的な愚痴や言葉の毒を論文風にしているだけじゃないでしょうか。どんな人間にも問題はあるし、仮にも教員の立場の人がここまで自分の生徒を蔑むのは人間的にどうかって思いました。
私も完全に当てはまっていますが、公務員試験に合格して春から公務員として働きます。なんとか職場に適応できるようにしたいですね。公務員目指してる皆さんも頑張って。
この本を読んで、まさに今、会社員の準ヒキだと痛感しておりますw。この筆者が最後のほうに書いてますが、高度な職種でもコミュがあまり要求されないものはたくさんありますし、準ヒキでも勤まる職種はあります。今大学で人の輪に入っていくのが苦手な方、非コミュだと自覚されている方は、自分をスポイルしないためにも職種選び・就活は周囲以上に真剣にやってください。
反社会学講座(ちくま文庫)、読めばわかるけど、こいつ準ヒキが流行語になって、マスコミから取材がきてあとは…見たいなことを期待してたんだろうねえ。まあぜんぜん準ヒキって現象自体たいしたことないから箸にも棒にもかからなかったみたいだけど。
大学なんていう安全な(近頃はこの本の著者が勤務しているようなマイナー大学は”倒産”スル傾向にありますが)ところに所属なされている「ガクシャセンセー」なんぞは”就職活動”においてはあまりお呼びではない(ゼミ経由のコネとかならともかく)、こういう学生でもまともに就業できるように”ジョブカフェ”とか”カウンセラー”とかが在るのでないの。まあ、読んだけどエラソーで独善的物言いの目立つ駄本だった。樋口センセ、大学に「就職」出来てよかったですねw
初めまして。四十代半ばの男性で、お恥ずかしいながら未だに独身です。彼女いない暦も年齢と一致しております。この「準ひきこもり」っていうのはまるで「俺」です。趣味も特技もなく、冗談も言えません。そのせいか友人も極端に少なく、友人との会話も弾みませんし、いつもひとりぼっちでいます。小中高といじめられていましたので勉強も手に付かず、憂鬱で暗い毎日を送ってました。大学に入ってからはホッとしたという感じでした。でも、友人がいない、趣味も特技もない状態は変わりませんでした。勉強のノウハウも身に付いておらず、卒業まで5年かかりました。一応、学生時代はアルバイトの経験もあります。就職してからも同じで暗い毎日を過ごしていました。給料、休日などの好条件を求めて転職経験もあります。自分は車の免許を持っていて、自分の車も持ち日常的に運転しています。暇さえあればあちこちに出かけ、いい景色を見つけては写真に収めたりしています。飛行機や列車を乗り継いで一人旅もすることがあります。旅行や車の所持と運転という行為は「準ひきこもり」ということでは、救われているのではとも考えています。自分は二十代のころはテレビゲームにはまってましたが、周りを困らせるほどはまってませんでした。ゲームマニアに言わせてみると、はまっていたと言うよりかかじった程度でしょうけど。漫画の方もあまり読みません。現在は、分譲マンションで一人で暮らしています。準ひきこもりは自己中心的と思われがちですが、人に気を使いNOと言えない人が多いのではないかと思われます。それだから、親や教師までからもいじめの対象とされてしまうのではないかと思います。人に気を使うから疲れる。それだからひきこもり、準ひきこもりになってしまうのです。最後に自分の嫌いな言葉として、「よい子」「まじめ」「おとなしい」この三つを挙げておきたいと思います。
ついで彼らはは実写児童ポルノを攻撃した。私は前よりも不安だったが、ペドフィリアではなかったから何もしなかった。

 

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