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終わりとは?/ セントラルファイナンス

[ 357] 2ちゃんねるの「終わり」とブログの今後 - nikkeibp.jp - from ガ島通信 メディア崩壊の現場を歩く
[引用サイト]  http://nikkeibp.weblogs.jp/gato/2005/06/2channel.html

前回の「ブログの終わりと始まり」に、たくさんのブロガーからトラックバックを頂きました。いろいろな視点があり参考になりました。何度も言いますが、物事は複雑です。この連載もある物事を一面的に切り取っているに過ぎませんが、ブログの双方向性がその一面性をフォローしてくれていると考えています。私の「視界」が狭くても、皆さんの意見を聞きながら考え方を見直し、整理することができるのは大変ありがたいことです。
「終わり」(ここでの「終わり」は前回とは意味が異なっています)と言っても、2ちゃんねるが閉鎖されたわけでも、消え去ったわけでもありません。私はこの「終わり」の意味を、2ちゃんがオルタナティブなマスメディアに成長できなかったと捉えています。
既存マスメディアでは、「怪しげなネットコミュニティの代表格」、「オタクやネット右翼の集う場所」などのレッテルを張られていますが、2ちゃんの魅力は真偽ではなく言葉遊びにあります。真実なのかウソなのか分からない面白そうなネタで言葉遊びをする。矛盾を突っ込んだり、応援したり、批判したりしながら書き込みが展開していくサイバーコミュニケーションです。
このような言論は一見無秩序に見えますが、そうではありません。広告やスパムコメントは、ボランティアの削除人が巡回して消去していますし、スレッドの話題と異なる書き込みやローカルルールを無視すれば2ちゃんの先輩たちによるアドバイスがあったりします。西村氏は「真偽は読者が判断すること」と発言していますし、2ちゃんねらーの「ソースを示せ」にも代表されるように、ある種のリテラシーも存在しています。
一時期猛烈に輝き、存在感を示した2ちゃんですが、なぜ「終わった」のか。なぜマスになり得なかったのかを解明するひとつのキーワードがリアルであると考えています。
ised@glocomでは、『オフ板は2ちゃんねらーが最後に行き着く場所だ』というコメントが紹介されています。このコメントは、「マトリックスオフ(公共の場所で、映画マトリックスに登場するネオをエージェントスミスが追いかけるという趣向)」を主催していたある人の発言です。
これは、2ちゃんがリアルへつながるコミュニケーションを模索していたことを示しています。他にも「うまい棒を持って選挙に行こう」、「湘南ゴミ拾いオフ」など、いろいろな試みが行われ、話題にもなりましたが定着しませんでした。リアルな行動すらネタ化されてしまいました。
これを最終的に決定付けたのが「電車男」です。「真偽不明」のネタだったはずのものが、本となって印刷され書店に積み上げられ、ワイドショーで語られ、人々の間で「確からしい」ものになっていく。次々と電車男関連本が出版され、映画、テレビドラマ化…。2ちゃんが紡ぎだした物語は、既存メディアに取り込まれ、消費されていきました。
ネタ物語のリアル化。この逆説によって、リアルを模索していた人たちは、既存マスメディアの軽薄さと、リアル世界のくだらなさを改めて思い知らされることになりました。「ウソから出たマコト」のような状況を冷ややかに見ていた2ちゃんねらーは、再びサイバーへ「引き篭もって」(決して否定的な意味ではありません。リアルを意識することが絶対善であるとは考えていません。あくまでマスメディアとしてどうなのかという視点ですのでご注意ください)いきます。
現在、2ちゃんは、細分化された各スレッドで「マターリ」とする場となっています。巨大な掲示板にもかかわらず、横のつながりを持たない小さなコミュニティの集合体になってしまい、マスメディアにはなり得ませんでした(リアルへ影響力を持ちすぎた2ちゃんを制御するため、西村氏らが電車男を「わざと消費させ」、リアルへの模索を失敗させたのかもしれない、とうがった見方が頭をよぎりましたが、これこそネタ文化2ちゃんの思うツボなのかもしれません…)。
ちなみに、2ちゃんは依然として大きな存在であるように見えますが、これは常に取り上げるものが一歩時代遅れである既存マスメディアの特性によるもので、消費の最終段階に入っているだけです。現状の「マターリ」が続く限り、2ちゃんがこれ以上社会的存在感を増すことはないでしょう。
では、2ちゃんとブログの違いはどこにあるのでしょう。ブログは「@名無しさん」が大半の2ちゃんに比べて、匿名にせよハンドル名(HN)にせよ、一定期間書き続けることによって管理人や運営主体の同一性が担保される構造となっています。そして、ほとんどのブロガーが、イベントや旅行、買い物など身の回りの出来事や家族や友人との付き合いや悩みなど、リアルに根ざしたエントリーを立てています。
それらは、アクセスも少なく、コメント欄もレスがないか、友人や家族からのものですが、そのようなブログが今後はさらに増えていくでしょう。ブログの普及は「匿名と実名」や「サイバーとリアル」論争をあっさり乗り越えていく可能性があります。「ブログ終焉」論争でも、「リアル」と言う言葉がかなり使われています。私には、この反応こそが、ブログがリアルに根ざしたコミュニティツールへ変貌を遂げようとしていることへの、リアルとサイバーを切り分けたいネットワーカーたちの反発、不安の表れではないかと思えるのです。
新聞社では、事件事故、漁業補償交渉や合併・地方自治などを取材する一方、中高生向け紙面のリニューアルを担当し、「紙」媒体の価値と限界を認識。2004年9月にブログ「ガ島通信」をスタートする。既存メディアの問題点と意識改革、新しいメディアと参加型ジャーナリズムについて議論している。

 

[ 358] [R30]: ブログブームの終わり
[引用サイト]  http://shinta.tea-nifty.com/nikki/2005/04/boomofblog_63eb.html

最近、いくつかの経験があって、ぼんやりと感じるようになっていたことがあったのだが、梅田望夫氏のはてなダイアリー「BLOG論2005年バージョン」を読んで、ぼんやりとしていたものがかたちになったような気がした。
2003年12月にはてなダイアリーがβ版サービスを開始して始まった日本のブログ・ブームは、そろそろ「終わった」と断言しても良いんじゃないか。さらなる成長を遂げるためには、どこかで明確なタームの転換が必要になりそうだ。
なぜそんなことを考えたかというと、まずこのブログのアクセスがまったく伸びなくなったということがある。そりゃーおまえがつまんねーことばかり書いてるからだ、とか、ストレートニュースに脊髄反射系が最近減ったからだよね、という原因はちゃんと自覚してるんだが、それにしてもPVの推移が少し重すぎる。
それでAlexaではてなダイアリーとLivedoor BlogのPVとかリーチを調べてみたんだが、どちらも4月に入ってから伸び悩んでいる感じ。はじめは社会人になった新卒学生が就活ブログを止めて抜けたのが原因かなあとか思っていたのだが、4月中旬を過ぎても回復の傾向が見えてこないので、やっぱり世の中全体の傾向なのかなと思った。
あと、ちょっと具体的には言えないんだがある人が言っていた「ブログのアクセスが多いなんていうのは幻想」みたいな話を聞いて、ま、そりゃそうだろなと。とするとこの1年半ばかり、日本のブログ界がリアル世界において生み出した成果とは何だったんだろうか。
思いつくまま挙げてみると、梅田望夫を媒介にして米国のブログ・ムーブメントの思想をネット住民がリアルタイムで受け止め、山本一郎や真鍋かをりという端くれ者を突然メディアの寵児に祭り上げ、磯崎哲也や湯川鶴章という新たな文化・知識人を生み、藤代裕之や伊藤春香というニューウェーブのライター、あるいは現役女子大生タレントを生んだ、そんなところか(以上敬称略)。
それ以外、例えばホリエモン騒動と「ファイナンス」というものに対する世間の異様な関心の高まりなどは、ブログがあってもなくても今の日本でいつか起こるべきものだったような気もするし、ブログをまとめたいくつかの本も、別にブログがなくてもそのうち出てきたもののような気がする。
そしてむしろ、明らかになった問題の方が大きい。それは、梅田氏がまとめているように「確かに知的生産性は一気に向上した、だが時事性の話題に優れた考察を加える専門家のシリアスなブログは、これからまだ増えるのだろうか?」ということなのであり、価値ある情報ほど極度に囲い込んで出さない、日本の知識人の「知」のあり方なのである。
個人的には、米国というのは良くも悪くもこうした「知」の体系の構造変化には後先考えずに突っ込んでいく人たちが(エスタブリッシュメントさえも)多いところで、だからこそブログの情報伝播力を最大限活用しようとするビジネスがいくつも立ち上がってくるし、マスメディアを巻き込んだドラスティックな「ジャーナリズム革命」みたいなものもブログ回りで起こってくる。
でも日本のエスタブリッシュメントやマスメディアというのは、表面的な部分では世相にものすごく左右される割には、「知」の構造変化に対しては慎重だと思う。だからこそ新聞や出版業界も表面上はブログに対して特に目立った動きを見せない。
ある意味でそれは、ブログがブームであることを無意識のうちに折り込んで行動しているようにも見えるし、実は単に保身と既得権益だけがすべて大事という姿勢にも見える。たぶんその両方だ。そして、これから後の展開を予測するのもそれほど難しくない気がする。端的に言えば、徹底して構造変化に抵抗し続けるという、97年以前の銀行業界のような戦略をとり続けるが故に、世間の構造変化の加重が一定値を超えた瞬間、ある日突然バキーンと轟音を立てて業界ごと崩れ落ちることになるのかもしれない。が、実際のところそのへんは僕にも分からない。
僕について言えば、紙メディアからそうでない領域に昨年転職したばかりで気が乗らなかったということもあるし、「R30」という、どう見てもリアル世界ではブランドとして不適切なハンドルでブログのブランディングをしてしまったということもある。いずれにせよ、いくつもあったマスメディアからの執筆のお誘いをすべて断り、第1次ブログブームの間にライターデビューする機会はつかみ損ねた、ということだけは言えるだろうと思う。
別に、ライターデビューするのが目的で始めたブログでもないし、「旬のメディア」という流れで言うと、そろそろブログの次のものが出てきそうな気がするのでそれ自体残念とも何とも思わないのだが、少々残念かなと思うのは、梅田氏と同じように、どうやらこれ以上面白いコンテンツを持った知識人やタレントがブログ界に参入してこなくなりそうな気がするのと、切込隊長のようにネット住民からリアル有名人に「転出」してしまう人が出てきて、ネットの言論空間が寂れていきそうな気配がすることだ。
僕自身は、自分の考えていることを確認したりいろいろな人に投げかけて反応をもらったりしていたいから、今すぐ何かを変えたりこのブログを止めたりするつもりもないのだが、そろそろ打ち上げ花火を止めて、リアルの側のインセンティブの構造といった何かを変えなきゃいけないような気もしている。
いろいろ書きたいことがたくさんあるのだが、5月に入るまでは忙しすぎてまともに思索を巡らせる時間もない。といっても、連休中もやらなければならないこと(主に仕事)がたくさんあるので、休みに入れば少し更新頻度を上げられるかというとそうでもないのだけれど。
これからはブログの世界も踊り場というかバブル崩壊の敗戦処理というか、「巡航速度」のあり場を探す展開になっていくのだろうなと思う。
あ、ちなみにPageViewの極端があがりさがりが方々でいわれているが、これは真剣に極低温などでの相転移現象っぽく私には感じられる。つまり、ブログやネットのつながりが密になればなるほど、アクセスは一箇所に超集中していくということだ。... 続きを読む
なんだか判らないけど、問題というか話題になっている模様。僕の妄想から導き出された答えを先に書いてしまうと、「何を根拠に好きになったか?」ってことの違いによる反応の違いなのかなあ。僕が切込隊長という名前を目にしたのは、梅田さんのCNET連載ブログ。それまでは...... 続きを読む
ブログの拡大ペースが鈍りません。日本語のブログだけで昨年末に200万を超え、今年末には600万に迫る勢いだそうです。
さて、一見順風満帆に映るブログ市場ですが、成長の陰で大きな問題もかかえています。1つは、以前とり上げた、ブログを書いている個人や、その内容により影響を受ける企業の危険性。
R30::マーケティング社会時評というblogのブログブームの終わりというエントリがハブとなってブログブーム終焉論がいくつかのblogでなされている。
このエントリに関しては私も一部同感である。ちなみに以前のエントリでハイプ曲線を利用して簡単にその感覚を説明しているので、私の考える終焉論についてはblogに関する雑感@log for logsを見ていただけるとありがたい。
ブログの終わりの地点には、キーボード入力が出来る人あたりの数字が限界のような気がする。 インターネットと言えばホームページであり、最初にプロバイダに加入するときに、そのプロバイダがおすすめしている、誰でも簡単にホームページが作れます。というふれこみで参加するという感じが多いが、インターネットを買ったが、ホームページはあまりの難しさに放棄したユーザーの数と、インターネットを買った時に、ホームページというふれこみの代わりに、これから簡単で楽しいブログを始めようという言葉で始めた人の数が少なくなったときが... 続きを読む
ブログブームは終わってるらしい。全体で見ればアクセスはまだ伸びてると思う。ただ、ユーザーの拡大で各個人アクセス数はかなり鈍化していると推測。 自分も確かに一時期と比べてブログ熱はだいぶ冷めた。去年、ブログを始めた頃は何もかも新鮮で有名なところにTBを打つだけで興奮した。記事を書くだけでも色々と思考をめぐらせて書いてた。 でも、なんだろう。「毎日更新」を半年やってきたがあまりこれといって変わったことはない。文章を手際よくかけるし、コミュニケーション能力は少し上達した気はするけど革命的なことというよりは... 続きを読む
つまんない、後味の悪いことを書いた後で、他方で昨日、一昨日のエントリーに、いろいろなコメントやトラックバックを頂いたのをみると、やっぱりブログって、いいなぁとも思います。
私はウェブログというツールの利用はまだまだ広がっていくんだろうと思いますが、ウェブログ開設数が読者数の伸び以上に増えていくので、個々のPageViewはそれほど伸びていないのでしょう。... 続きを読む
ブログブームは終わる、もう終わる、もう終わってるぞ、と言う人は「ブログがブームだ」といわれ始めた次の瞬間から存在したと思うが、目立つ場所で言っている人を久しぶりに見た。 ブログブームの終わり(R30::マーケティング社会時評) 何をして「ブーム」と呼ぶのかというのがまず問題かもしれないのだけど、各ブログサービスではブログの開設数、pvともに伸び続けているし、ビジネスブログビジネスブログいう人たちの勢いはこれからもっと激しくなりそうだ。 いくつもあったマスメディアからの執筆のお誘いをすべて断り、第1次... 続きを読む
ページビューが集まる。ひょっとしてオレってすごいんじゃないの?と思う。世間に物申したくなる。アイドル気取りになる。でも、ひとのココロを定常的に維持することはできない。書き込むネタを探すのも大変だ。で、手を抜き始める。飽きられる。飽きられるのはさびしいから、「ブログは終わりだ」と言ってみる。
私は、切込隊長を高く評価している。頭の回転の速さは文章を見ただけで伝わってくるし、なにより独特の文体は魅力的である。事実、このBlogでも何度か彼について言及している。当然、今回の騒動はかなり早い段階からチェックしていた。正直食傷している人も多いだろうが、.... 続きを読む
ブログがブームになっていたわけだけど、みな漫然と思うとおりにそれは衰退しているのではないかという意見。 どんなブームもいつか終わりがくるわけだし、一息ついて落ち着いて日記をトボトボ書くのがいいのかしらと。 大事なのは夢中になるコトであり... 続きを読む
中小企業診断士/ITコーディネータ 春日一秀のブログ: ブログのこと、再考?しようと思いましが、できませんでした。
「週刊誌記者の日記」(というより週刊朝日ブログのほうが通りがいいか)で、この記事を見つけ、思わす首を傾げる。
まあ、希望的観測にケチをつけるのも大人気ないのだけど、ブログってそこまで普及しないと思うんですよね。
つーか、「モノ申す」なんてジジィ臭が強烈な言い方はしたくないな。って言っても、おいらもそんなに若くはないんだけどさ。 で、タイトルの話、出処はおいらも尊敬する梅田さんのこのあたりらしい。で、ここ(R30)とかここ(FPN)とかでそれがオーソライズされた格好になってる。 そりゃあ、IT セレブ(何)の梅田さんがおっしゃる金言であればオーソライズしたい気持ちもわかるんだけどさ。でも、やっぱなんか違う気がするんだよね。...... 続きを読む
[R30]: ブログブームの終わりを読んでピーターの法則を思い出した。ピーターの法則と言うのは人は、ある階層で機能しなくなるまで=「無能」になるまで昇進し、無能なレベルに達するとそこで昇進が止まる。と言うことです(関心空間:ピ?ターの法則より引用)。そもそも無限..... 続きを読む
ブログの終わりの地点には、キーボード入力が出来る人あたりの数字が限界のような気がする。 インターネットと言えばホームページであり、最初にプロバイダに加入するときに、そのプロバイダがおすすめしている、誰でも簡単にホームページが作れます。というふれこみで参加するという感じが多いが、インターネットを買ったが、ホームページはあまりの難しさに放棄したユーザーの数と、インターネットを買った時に、ホームページというふれこみの代わりに、これから簡単で楽しいブログを始めようという言葉で始めた人の数が少なくなったときが... 続きを読む
やっぱり、これだけ本が多くなるとさすがにブームとしては終わってるなあと感じる。(笑) 次はブログか原作になってる本が溢れ出したら本当に危険信号。(笑)... 続きを読む
ブログはもうダメなのかどうか祭り、まだ続いているようですね。以下のリンク辺りのトラバを辿ると、色々な意見を読めると思います。 続きを読む
最近、アルファブロガー(的立場の人々)が各所で叩かれている。いや、各所っつーのはそれぞれが運営するブログで、ってことなんですが(笑えない)僕のブログは父方のおじいちゃんも天国できっと読んでるので「アルファブロガーとは何ぞや?」っつーのを少しだけ説明すると『...... 続きを読む
粘着してごめんなさい。ブログの終わりじゃなくて、アルファブロガーの終わりでしょ(笑)の続き。「ブログ」の終焉に感じた違和感について少し。以下の部分が僕と真逆だなあと。実名、匿名問題でリアルとサイバーに触れる人がいますが、「電車男」と言う形で、2ちゃんが「...... 続きを読む
最近、「ブログの終わり」という話がブログ界隈で盛り上がっている。4月末には「ブログブームの終わり」というタイトルの記事が象徴する「ブログの予想以上の内容の薄さ」が取りざたされた。そして、5月末、「ブログに魅力を感じなくなった」という「ブログの終焉」という話が「ブログの匿名・実名議論」と絡んで持ち出され、それは一方で「ネットって一時期飽きたりすることがあるんだよね」という話にもつながっている。 で、それで思い出したのは、1年半前――ちょうどココログが登場する前後だ――にブログ論壇界隈で話題になって... 続きを読む
R30:ブログブームの終わりとかガ島通信:「ブログ」の終焉をみていて思うのは、専門分野の能力や分析力、執筆力は高い人たちなんだけど、(仮に日本語限定としても)ほんとうに様々な人が相互に影響を及ぼしながらいろいろなことを書いているネット全体の中で、自分たちのブログを位置づけるという能力に欠けているのかなという気がする。相互の影響というのは、ネット上のやり取りだけではなく、会うことも含まれる。もちろん会って話すことのほうが?... 続きを読む
今日も読んでくれてありがとうございます。楽しんで頂けてますでしょうか?どうもよくお越しくださいました。サービス精神旺盛な文章を書かせてみると、クラスで2番手くらいだった気がします。
これまであまりこのブログ上では自分がお給料をいただいているgooの告知っぽいことは控えてきたのですが... 続きを読む
流行というものはそういうものだけど、ひっそりしたところで天才が世間の目の届かないところから活動するという例はあるよ。桃青から芭蕉と名を変えて隠棲したことや…。ただ、仲間や支援者がいないとならないけどね。マスに揉まれているだけでは、磨り減るだけなのかもね。
個人的にこの点が、気になります。米国では日本より表立ってディベートする方やそれを臆さない方が多いので自然な流れができたような気がする。日本では分極で、一方で保身、一方でラジカル、多くはメディアに対するスタンスが受身なので繋ぐ人の数がまず圧倒的に少ない。
>そして、これから後の展開を予測するのもそれほど難しくない気がする。端的に言えば、徹底して構造変化に抵抗し続けるという、97年以前の銀行業界のような戦略をとり続けるが故に、世間の構造変化の加重が一定値を超えた瞬間、ある日突然バキーンと轟音を立てて業界ごと崩れ落ちることになるのかもしれない。が、実際のところそのへんは僕にも分からない。
こういうことを銀行の例で学んだ筈なのに、スムーズに持っていく人が出てこない、企業がそういう人材や組織を求めないというのも、少し残念な気が。んでも、ラジカル周りでは、ぼちぼちあるるんですかね。
え、端くれ者とか言ってるおまえは何様かって?うんこですようんこ。うんこに決まってるじゃないですか>Giraudさん
だって・・・磯崎さんと湯川さんが文化・知識人に入っているのに隊長とマナベが端くれ者って・・・GLOCOMで発表した直後にそれは・・・弄られキャラだとは思いますけど。
かってアメリカでニューペインティングという手法(絵画の手法の一種)が流行っていた時期がありました。日本のアーチストもそれをまねして自由に描けばよいということで、感情と情緒だけのヘタウマというお絵かきの手法が流行りました。その絵がもっているロジックさは受け継がず抜け落ち、まねだけでした。そのうちブームは終わりました。日本のブログもこれとそっくりです。
ブログのブームが去った後、「詩人」がでてくれば最高にグットだとおもうよ、リアルタイムでその詩人の精神を感じるなんて最高!既存の出版界のシステムによらずダイレクトにね。権威あるやつが選んだ「現代詩人」なんか関係ない。ネット上で誰もが天才と認める人だね。
それは「イジドール・デュカス」か「アルチュール・ランボー」クラスだね。あるいは「ネルヴァル」の(オーレリア)のようなもだったらすごい。可能性はあるとおもうよ。ただし「文化、社会、文明」を感じ、「詩」を理解できるリテラシーの持ち主がネット上にいればの話ではある。
まぁブームは2,3年で終結するのが世の常だから、その間に先行者利益をどんだけ上げられたかがポイントでしょうな。おそらくここ1,2年のうちにブログのブランド価値は急速に落ちるから、あとは残存者利益体質になるだろね。
あと、どうせポイント稼ぎ戦略に走るなら往年の「侍魂」みたいにトコトンえげつなくやらないと駄目でしょ。文章から引き込み戦略から。中途半端に上品ぶっても仕方ないってのは、あるね。
ネット有名人⇒リアル有名人という流れで生じる受け手の心境の変化は無料⇒課金によって生じるものと同じで面白い。
一時的に冷静さを失ったのだとは思うけど、やっぱりそれはやっちゃだめなことであって、まあがっかりですわ。
ホリエ騒動の時は商法屋から株屋からいろいろな人がメディアよりずっと素早く詳細に解説・読み筋を書いてくれて「ブログってすげえ」「ホリエの言うマスコミ不要論もあながち…」と思わせる局面もあったけど、今回の脱線事故ではピンと来るブログが何も引っかかってこなかった。向くジャンルと向かないジャンルがあるんだろうけど、ホリエ騒動の一段落とともにブログ熱も一段落しちゃった感はありますね。
隊長ブログおよび関連2ちゃんスレの荒れようは尋常じゃありません。ていうか、なんかへん。普通ならあれほど荒れない。自白強要、提訴強要の書き込みが短期間に数多く行われています。
単に「ちっ、ブームに乗り損ねたか。かっこわりーな俺w」と言いたいだけなら、それはそれで正解なのだと思いますが、それすらも執筆者のポリシーでしょう。ブームに乗るのが目的で書いていたのなら、そろそろ潮時ではあるでしょうね。
シックス・アパート、ブログメディア構築・運営サービスを提供 (ブログでホームページ作成,製作,-MTデザイン)

 

[ 359] 松浦晋也のL/D: 初音ミクと終わりのはじまり
[引用サイト]  http://smatsu.air-nifty.com/lbyd/2007/12/post_5d3e.html

笹本祐一著、松浦晋也解説。南米ギアナからロシアのプレセツク、フロリダ、もちろん種子島に内之浦、さらには相模原??ロケット打ち上げを追った東奔西走の記録第三弾。松浦による「世界の宇宙開発」解説記事を収録
日本唯一のDRAM専業メーカーで知られるエルピーダメモリ(株)の取締役社長兼CEO坂本幸雄にノンフィクション作家松浦晋也が10時間におよぶインタビューを行い、エルピーダメモリ躍進の秘密を探る。
リメイク映画化で話題の『日本沈没』は単なるフィクションか、それとも???気鋭のSF作家らが惑星地球のダイナミズムを多角的に分析、日本沈没の可能性を徹底検証する。さらに、地震探査などの最先端技術までをレポートしたSFファン、科学ファン必携の書
「あいつぐトラブル。それでも「のぞみ」は二十七万人の祈りと希望をのせて火星へと飛び続けた??火星探査機『のぞみ』の苦闘のすべてを描く、迫真の科学ドキュメンタリー」
「宇宙旅行の夢を皆に与えてくれたスペースシャトルは、実際には世紀の失敗作だった。宇宙開発の未来を拓くものとして世界に喧伝されたスペースシャトルの真の姿とその背景、その影響と今後の宇宙開発において日本が進むべき道を探る。」
これはもはや,興味などというものではない。血のたぎりだ。「はやぶさ」の何が,私の血をたぎらせているのか。――(中略)―― 未知の世界へ分け入り,誰も見たことがない風景を見ること。そのこと自体が本質として,背筋を震えさせ,後頭部をしびれさせ,そして何より血をたぎらせるのだ。
設計を見ていくならば,スペースシャトルは失敗すべく設計されていたことが分かる。――(中略)――どこを取っても成功する要素がない。
もちろんいじっております。試作品もあります。が、なかなか腰を据えて歌わせることができないのでありますよ。
その間にも世界は動いていて、ニコニコ動画では初音ミクをフィーチャーしたオリジナル曲はどんどん出てくるわ、マッシュアップが進んでとんでもない高クオリティの映像が付くやらで、素晴らしい事態が進行しているではないか。
こういうものは参加してみるに限る。是非とも自分も混沌広がるマッシュアップの場に乱入してボコボコにされてみたいのだけれど、悲しいことに私には野尻抱介さんのように、ささっとセンスの良い作品を作る能力はないのであった。あまりにうらやましかったので、野尻さんの投稿に、「先生なにやってんですか」とコメントを付けた…というのはウソですが。
ここに来て、ネットのムーブメントを旧来の権利処理の方法でビジネスをしようとしたドワンゴ(ニコニコ動画を運営するニワンゴに出資している。ちなみにのまネコ問題でミソ付けたエイベックスの関連会社でもある)と、初音ミク発売元のクリプトン・フューチャー・メディアの間で、トラブルが発生していたが、この度無事解決した。
詳細はまとめWikiをみてもらいたい。要約するとニコニコ動画で短期間のうちに200万アクセス超えるヒットとなった「みくみくにしてあげる」という曲を、ドワンゴがカラオケに使おうとした際、JASRACに登録したことから、これまでネットで自由にマッシュアップされてきた曲が使えなくなるとしてネット利用者から大きな反発が起きていたのである。
旧来の著作権ビジネスを展開しようとしたドワンゴが、著作権無視の花園に開いた花であるヒット曲を自分一人でつみ取ろうとしたことの帰結がこれである。
私は1998年から2000年春まで、つまりサラリーマン生活の最後の2年間、音楽のネット配信関連の取材に従事した。その時にずいぶんと音楽関係者に会ったのだけれど、つくづく感じたのは「音楽業界は嫉妬の連鎖で構成されている」ということだった。
音楽業界に身を投じる者に音楽嫌いはまずいない。その多くは最初、自分がミュージシャン、クリエイターとして成功することを夢見ている。しかし、目標を達成するのはごく一部だ。残る者のうち一部はバックバンドやスタジオミュージシャンとなる、そこからも脱落すると、今度は音楽プロダクション関係者としてマネジメントや経営に携わることになる。
音楽プロダクション(業界的には音楽出版社などという)からも脱落した者は、より音楽から遠い場所、すなわち業界団体の事務などに流れていく。脱落に脱落を重ねた者が、業界を束ねて関係官庁との折衝を行うのだ。
これに、地方のコンサートなどを仕切るプロモーター(彼らの多くも夢やぶれた者だ)や、興行に張り付いてくるヤクザなどを加えると、嫉妬と権力とのドロドロの場ができあがる。「なるほど、美空ひばりが絡め取られたのはこれか!」と取材で何度も思ったものだ。
このどろどろの場が崩壊しない最大の原因は金だ。音楽の世界はヒットしなければ、極貧のどん底でのたうち回ることになる。しかし、その一方で一発ヒットが出ると、投資に対するリターンがとんでもない比率となる。
つまり、音楽のクリエイターとしての才能がなくとも、業界に張り付いてヒットのおこぼれで食っていこうと思えば、食っていけるのだ。
そのような資金のリターンを保証しているのが著作権を初めとした各種権利であり、JASRACというわけだ。JASRACは同時に、著作権料回収代行の手数料を徴収している。ヒット曲となるとこの額はバカにならない。それは同時に日本一の弱小官庁などと言われる文化庁にとって、とても貴重な利権になっているわけである。
結論を言えば、音楽業界は、一部のクリエイターの才能に、多くの関係者がぶらさがって食っている世界なのだ。
才能というものは、ダイヤの原石よりもキノコのほうによほど似ている。条件さえそろえば、勝手に生えてくる。
食えるかどうかの判別に、知識と才能が必要という点もキノコそっくりだ。そして音楽業界を仕切っている者のすべてが、才能を見抜く能力を持っているわけではない。
クリエイターとしては、創造の喜びと、人々の称賛、そして普通に暮らす生活費があれば十分だ。しかし業界はそれでは困るので、利益を最大にするための色々な仕組みを作り上げてきた。著作権のありようなどもその一つである。アーティストが音楽プロに所属するというシステムや、原盤権という権利も、あるいは送信可能化権などというものもそのうちのひとつだ。
しかし今や、ニコニコ動画のように、才能と大衆が勝手に集まってきて音プロもJASRACもなしで楽しく遊ぶ場が動き出してしまった。
でも、そこだけにしといてもらいたいというのが、多くの人の感じるところじゃないだろうか。ネット配信の制限だの、マッシュアップが著作権侵害だの、JASRAC余計なことしてくれるな、ということだろう。
私としては、音楽シーンのごく一部が現在のような巨大ビジネスになっていることのほうが、異常だと思っている。歌は英語でAir、空気だ。空気のように無償で、口伝えで、多くの人々の間に広がっていくのが、本来の歌ではなかったか。そして今や、ネットという歌を伝える新たな媒質が存在している。
1994年に日本でインターネットの一般への開放があった時、「これで世界は変わる」と言っても理解できない人は多かった。あれから13年、そろそろ色々な変化がでてきたな、という気がする。
スターウォーズ1作目のデススター攻撃シーンで、Xウイング戦闘機に刺さっているR2-D2を初音ミクで置き換える。ダース・ベイダーの戦闘機に撃たれて髪がアフロになるとか、それでキレまくって翼端のレーザー砲をぶっこぬいて後ろ向きに発射するとか、そういう。
古今東西、業種の違いを問わず、巨額の利権が関わるところには、それに巣食う有象無象の輩が存在するのですね。
音楽業界の場合だと、ヒットを飛ばしても、契約の不備や騙しやうやむやによって、ミュージシャン側に正当な対価(印税)が支払われずに終わる、ということが昔も今も後を絶たない(例:スモール・フェイシズとかバッドフィンガーとか)ことからもわかるように、数多くのミュージシャンが業界側からの不当な搾取に遭ってきた(遭っている)ということも忘れてはならないことでしょう(ミュージシャン側が裁判に訴えようとしても、かかる法廷費用のために告訴を断念せざるを得ないという例も後を絶たない)。
インターネットの普及により、音楽業界のありかたが劇的に変わりましたが、決して良いことだけがもたらされているわけではないのも事実です。一例ですが、直接の要因ではないとは言え、私の愛する、良質の仕事を行ってきたレーベルがこういう目に遭うのは、非常に寂しいものがあります。
申し訳ないです。私はこのあたり全く不案内です。これはカバーというだけではなく、曲の一部をサンプリングして別の曲に使うということですよね。私はクラシック系に根があるので、サンプリングで曲を構成することにかなり拒否感がありました。それもありかと思えるようになったのはごく最近のことです。
JASRACは、おっしゃるとおりだと思います。私思うに寧ろパブリックエネミーならぬネットの敵はレコ協ではないでしょうか。CCCD推進などというろくでもないこともしていましたし。
確かに民衆蜂起っぽいとは感じるところです。でもロシア革命みたいに「自由を!」「メシくわせ?!」という必死な感じではなく、「おもしれーじゃん」でモナーが大群で押し寄せてくるような、笑いと共にあるあたりが、なかなかいいなと思っています。
当時JASRACの広報から、アメリカが著作権ビジネスのメッカになるにあたっては、酒場で歌われる新曲の楽譜を、ギャングが一手に印刷してさばいたということがあった、なんてことも聞きました。本当かどうかを判断するだけの知識は今も私にはありませんが、ともかく、形のないものの権利は、けっこう難しいです。
また、一部のDJの間では「歌声りっぷ」等のソフトで、アーティストのヴォーカルのみを抽出した上で、バックに自分達の演奏(DTM含む)を加えた
きちんと、相場が決まったお金を徴収した上で、こう言ったリミックスCDも正規の流通経路に乗せるのが、音楽の正しい姿だと思うのですが・・・。
フレーズ・サンプリングには、「音符的要素」以外に、「音色の要素」「演奏の妙の要素(これは著作隣接権だと思います)」

 

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