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色濃くとは?/ セントラルファイナンス

[ 402] ITmedia ライフスタイル:“液晶のシャープ”、さらに色濃く
[引用サイト]  http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0404/27/news084.html

大型液晶TVの生産拠点として、今年1月に三重県の亀山新工場が本格稼動しており、大型化シフトに向けた生産体制も強化。パネルからセットまで一貫した生産で、液晶TVの大型化を加速させる構え。同社は今後も液晶を中心にした事業展開を行う方針で、2004年度の設備投資2200億円のうち、半分以上の1300億円を液晶関連に当てる予定だ。
好調な液晶事業の一方で、冷蔵庫/エアコン/電子レンジといった白モノ家電や、PC/複写機といった情報機器は、2003年度は前年度比ダウンもしくは横ばいの実績となっており、2004年度も横ばいの売上予想がたてられている。
今後も液晶事業に傾倒していく同社だが、近年は韓国・台湾メーカーの台頭も目覚しく、液晶全体の生産量増加から今後は厳しい価格競争に巻き込まれるのではとの懸念も聞かれる。
「液晶はガラスなど材料が慢性的に不足しているので、韓国・台湾メーカーの供給が大きく増えるとは思わない。また、大型液晶TVは従来のブラウン管からの買い替え需要が中心となるので、需要は今後も堅調に推移していくとみている。そして、明るく高精細なパネルを開発するなど、技術面でもまだまだ競争していく構え」(佐治副社長)
薄型テレビやレコーダーにつきものの「B-CASカード」。ただセットしているだけという人も少なくないはず。今回は、その役割と問題点について解説する。
薄型テレビの新製品が次々に店頭へ登場しているが、8月8日に開幕する北京五輪の影響で夏ボーナス商戦自体は長期化するとの予測が。
最近、個人的に注目しているのが20〜16インチ程度の小型液晶テレビだ。以前は小型テレビといえばコスト最優先の製品ばかりで、画質に関してはさほどケアされていないものが多かった。ところが最近は事情が変わっている。
今年はオリンピックイヤー。かつてほど爆発的に売り上げが伸びるわけではないが、それでもやはり通常期よりは市場は盛り上がるため、各社は商機を逃がすまいと、独自の戦略で新製品を投入している。まずは東芝とパナソニックを取り上げ、新製品の傾向を探ってみたい。
ソニーのBRAVIA「M1シリーズ」は、ポップなスタイルと豊富なカラーバリエーションを持つパーソナル液晶テレビ。単に大型テレビをスケールダウンしたような製品が多い中、明らかに小型テレビのために設計されたデザインだ。その外観と機能性をチェックしていこう。
春は、入学や就職のために新しい生活を始める人がもっとも増える季節。部屋のふんいきを決めるテレビの選択には少し気合いを入れたいものだ。そこで今回は、一人暮らしや個室利用に適した20V型前後の液晶テレビを紹介しよう。

 

[ 403] NYコレクション:70〜80年代の影響が色濃く…キーワードは「ボリューム」 - 毎日jp(毎日新聞)
[引用サイト]  http://mainichi.jp/life/fashion/graph/080220/

パリや伊ミラノ、ロンドン、東京など世界各都市で行われるプレタポルテ(既製服)のコレクションの中で、今、最も熱い視線を集めているのがニューヨークコレクションだ。規模の大きさ、トレンド発信力ともに今や世界一と言われている。2月1〜8日まで行われた08〜09年秋冬コレクションをショーの模様だけでなく、バックステージや注目トレンドと併せてリポートする。
今回のニューヨークコレクションは、小規模なプレゼンテーションも数えると約200以上のブランドが参加し、最大規模になった。限られた日程の中に詰め込まれたスケジュールは超過密になり、他都市ならあり得ない、同じ時間に4件のショーが重なるという事態が、もはや当たり前になった。
そのため、ショー会場も、5と6番街の間、44丁目から42丁目にあるブライアントパークの主会場だけでは間に合わず、おしゃれなレストランなどが建ち並ぶ今話題のミートパッキングエリアやチェルシーのギャラリーなどにまで点在。世界中から集まった多くのジャーナリストやバイヤー(買い付け担当者)らは、ミッドタウンとダウンタウンを何度も往復することになり、付近では車の渋滞も発生する混乱ぶりだった。
ここ数年、ニューヨークの人気が上昇しているのにはいくつかの理由がある。一つには、次々に登場する新人デザイナーの魅力。彼らはビジネスでも手堅く、着やすい服を買いやすい価格で作るためバイヤーに受けがいい。アレキサンダー・ワン、3.1フィリップ・リム、ウエインなど、新人の多くは中国や韓国などアジア系アメリカ人で、どこかに感じられるアジア的繊細さも魅力のようだ。
さらに、ユーロ高によるドル安で、米国ブランドの服が買いやすくなっていることもある。また、巨大なマーケットを当て込んで、米国進出を図るヨーロッパからの参加ブランドが増えたのも、ニューヨーク人気の要因に挙げられている。今シーズンは、グッチが高級ブランド店が並ぶトランプタワーに世界最大規模の店をオープンさせるなど、数々のショップオープンも話題になった。
さて、コレクションはというと、70年代と80年代の影響が色濃く、「ボリューム」がこのシーズンを代表するキーワードになりそうだ。肩から裾へ三角形を描くテントラインや繭のようにふくらんだコクーン型コート、胸下にギャザーを入れたベビードール風ワンピース、背中がふんわり丸みを帯びたジャケット、ワイドパンツなど、ボリュームのある服がとにかく多い。
こうした大きなコートに細身のドレスを合わせるような、ボリュームとスリムのコントラストを強調した着方が目立つ。一方で、ボリュームシルエットとは対照的なスリムなメンズ風のテーラードジャケットのパンツスーツやベストもあり、こちらは小さめを細くぴったりに着る。
色はチャコールグレーや黒をベースに茶、カーキ、パープル、グリーン、ネービー、スモーキーピンクなどをミックスする。80年代風な黒と蛍光色のはっきりした配色も新鮮だった。(資生堂ファッションディレクター・時田麗子)
シルク・ドゥ・ソレイユ日本初の常設シアター 初演目「ZED」【特集】小栗旬が見たシルク・ドゥ・ソレイユ
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[ 404] 色濃く漂う江戸の下町情緒 圧倒的な歴史と文化の厚み : ぶらり街さんぽ : ホームガイド : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
[引用サイト]  http://home.yomiuri.co.jp/walk/20071210hg02.htm

12月初旬の土曜日、千駄木駅(東京・文京区)から数分の場所で仕事をすませた後、昼下がりの駅周辺を歩いてみた。
坂の途中にある文京区教育委員会の案内板によると、「団子坂」と呼ばれているこの坂には、「潮見坂」「千駄木坂」「七面坂」などの別名がある。
古い文書には「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と唱ふ云々」との記録が残されており、「団子坂」の由来は、坂の近くに団子屋さんがあったからとも、悪路のため転ぶと団子のようになるからとも言われている。
また、同じ古文書で坂下に七面堂があるという記事もあり、そこから「七面坂」という名前も生まれたらしい。
「潮見坂」の名前は、坂の上から東京湾の入り江が望見できたことによるものだ。幕末から明治にかけては菊人形の小屋が並び、明治40年頃が最盛期だったそうで、団子坂を登った辺りは、森鴎外や夏目漱石、高村光太郎などが住んでいた場所としても知られている。
その団子坂の上には、現在、文京区立本郷図書館の分室のような位置づけで、森鴎外の遺品や原稿・書簡・日記などの関連資料を展示している鴎外記念室があった。
この文京区本郷図書館鴎外記念室は、「観潮楼(かんちょうろう)」と呼ばれた鴎外の屋敷跡に建てられたものだという。
本郷台地の東端に位置して、谷中・上野山だけでなく、東京湾の潮路も眺められたことから、鴎外は自ら屋敷を「観潮楼」と名付けたという。ここで生まれた作品が「即興詩人」「ヰタ・セクスアリス」「青年」「雁」「阿部一族」「山椒大夫」などだった。
鴎外の没後、観潮楼は二度の災害により焼失してしまったが、その跡地に記念室を併設して建てられたのが鴎外記念本郷図書館で、開館したのは1962年(昭和37年)というから、もう、間もなく、半世紀が経つことになる。
12月16日まで「鴎外と光太郎」という企画展示が行われていて、その一環となる「高村光雲作こどもみこしがやってくる」という特別イベントの期間中に当たっていたので、入り口の正面に飾られていた光雲作の神輿(みこし)を見ることができたのは、文字通り、幸運だった。1929年(昭和4年)11月に制作されたもので、翌年9月に鴎外の次女・杏奴から長女・茉莉に宛てた書簡にある「高村光雲翁が子供の御神輿を作られたのです(千駄木町のために)。とても立派なもの」という一節も紹介されていた。
記念室の裏手には、観潮楼の庭が往時のままに残されていて、大銀杏と並んで、「三人冗語の石」というのがあった。雑誌「めざまし草」で新作批評“三人冗語”を担当していた森鴎外・幸田露伴・斉藤緑雨が、この石の前で写真を撮ったことから、この名前が付けられたという。記念室の外壁には、その写真も飾られていて、鴎外が「たけくらべ」を激賞した“三人冗語”の世界に生で触れたような気分になってしまった。
不忍通りの交差点を越えて、そのまま、真っすぐに歩いて行くと、1分足らずで、「団子坂・菊見せんべい総本店」という大きな丸い看板を掲げた立派な店構えの煎餅(せんべい)屋さんにたどりつく。
店先のガラスケースを覗きながらお店のおばさんに「ザラメのおせんべいもありますか」と訊ねてみたら、「ザラメはないけど、このおせんべいもおいしいですよ」と言って、砂糖が沢山まぶしてある試食用のおせんべいを勧められた。
せっかくなので、1枚いただいて食べてみると、甘辛く懐かしさを感じさせる味が口の中いっぱいに広がる。とても美味しかったので、「めずらしせんべい」と名付けられたそのおせんべいを買うことにした。
おせんべいの置いてあった台には、「旧駒込坂下町(昭和40年までの町名)」という説明板が打ちつけられている。それによると、駒込坂下町は18世紀前半の元文年間に開かれた町で、千駄木坂の下にあるので、千駄木坂下町と名付けられ、明治時代に駒込坂下町と改められたという。
さきほどの「団子坂」の説明板にもあったように、「団子坂は、明治時代菊人形で有名であった」と書かれている。明治時代にも、「菊見せんべい」というお店の名前通り、大勢の人たちが美味しいおせんべいを食べながら菊人形を楽しんでいたのだろう。
不忍通りまで戻ろうとお店を出て、遅ればせながら、菊見せんべい店の前の通りには柳の街路樹が並んでいることに気がついた。
街灯には「団子坂下・柳通り」という看板が添えられ、その下には「オリンピックを東京に、2016年」と赤い地に白抜きで書かれた幟(のぼり)もはためいている。
根津駅方面に向かって歩き始めると、不忍通りを挟む両側の歩道には、実にいろいろなお店屋さんが並んでいた。
「千駄木本通り」とも呼ばれているらしいこの界隈(かいわい)の不忍通りには「千駄木二丁目商店街」が広がっており、古美術商の並びに懐かしい四角の布箱を付けたバイクが店先に置かれたクリーニング店があるかと思えば、「いなり寿司専門店」などという看板を掲げた食堂もあった。
もんじゃ焼のお店の前を通り過ぎると、間もなく仏具店があり、その隣がパチンコ屋さんだったりして、実に、バラエティーが豊かだ。
電柱には「猫を探しています」という手作りの張り紙が貼られていて、鈴を付けた可愛い三毛猫の大きな写真が印刷されている。「見かけた、声がしたなど、どんな情報でも結構です。どうぞ、お知らせください。お願い致します」という飼い主の文章が添えられていた。名前と電話番号がいくつも書かれた下の部分は、短冊状に切り込みが入っていて、連絡先を持っていけるようにしてある。迷子になってしまった愛猫を心配する飼い主の思いが伝わってくるようなポスターだった。個人情報保護が喧伝(けんでん)される今の世の中にあって、名前と電話番号を持っていける工夫を凝らした張り紙が電柱に貼られているあたりは、いかにも下町らしいと言うべきか。
そんなことを思いながら進んでいくと、本屋さんの店先に飾られていた散歩雑誌の最新号のポスターには、いわゆる下町情緒を色濃く残した「谷根千」エリアとして根強い人気を誇る「谷中、根津、千駄木」の文字が大きく印刷されていた。
地図板を見ると、この交差点を右折したところに、根津神社が表示されていたので、立ち寄ってみることにする。
交差点を右折して間もなく、左手に大きな鳥居が見えてきた。鳥居の前にある大きな石柱には、「根津神社」と大きく刻まれている。
鳥居をくぐり抜けて境内に入って右手に曲がると、正面に小さな鳥居が二つ並んでいるのが見えた。左側の鳥居の向こうには、赤い鳥居が連続して並んでいるのが見えた。そばまで行くと、左側の鳥居の中央には、「乙女稲荷神社」と金色の文字で書かれた額がかけられている。
その鳥居をくぐって左手に曲がり、「塞(さえ)の大神(おおかみ)碑」と「庚申塔(こうしんとう)」の前を通り過ぎると、30センチおきくらいに朱塗りの小さな鳥居がつながるように並んでいて、そのトンネルのようになった空間の向こうから、小さな男の子が二人、元気に走ってきた。
大きな門の前まで回りこんで、社殿に向かって歩いていくと、どうやら、社殿の中では、結婚式が行われているらしく、参道のところで三脚を立てて、カメラマンが待機している。境内に入った時から、御神楽の音楽が小さく聞こえていたのだが、社殿から来ていたものだったようだ。
社殿の近くまで進むと、「國寶」と書かれた大きな屋根つきの掲示板があり、「本殿・幣殿・拝殿・唐門」「昭和六年十二月十四日」と書かれている。
社務所でいただいた縁起によると、根津神社は今から1900余年の昔、日本武尊(やまとたけるのみこと)が千駄木の地に創祀したと伝えられ、文明年間には太田道灌が社殿を奉建したという。
御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)や大国主命(おおくにぬしのみこと)、菅原道真公などで、明治維新には、明治天皇御東幸にあたって勅使が遣わされ、国家安泰のご祈願を修められるなど、古来御神威高い名社だそうだ。
社殿の前で参拝をしていると、式が終わったらしく、新郎新婦を先頭に参列していた人たちが表に出てきたので、邪魔になってはいけないと思い、私は家路につくことにした。

 

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