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完結とは?/ アットローン

[ 291] 産経新聞一面連載が完結、ぜんぶまとめてウェブで読めます。 - My Life Between Silicon Valley and Japan
[引用サイト]  http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20080301/p1

南方熊楠は大学予備門中退である。宮本常一は師範学校卒。一応大学は出ていても独学者の歩みをつづけた人には柳田国男、折口信夫、白川静の諸氏がいる。これらの人々の特徴は「他人の真似をするのが大嫌い」だという点にある。世間のありふれた賞讃には目もくれず、光栄ある孤立の道を選ぶことをためらわなかった。(日経新聞5/31/08)
今はみんなが才能のある人を探してるんだから。才能が埋もれてる、なんてことはない。動かないで何かをなした人間はいません。(「漫画家アシスタント物語」p297)
小説家にとって最も大切なのは、ともかく家から離れないことだ。家にさえいれば、取り敢えず書くための最低条件が整ったことになる。それにはガーデニングの趣味が最適だ。なぜなら、うっかり家を明けようものなら、それまでのせっかくの努力がむだになってしまうからだ。(「安曇野の白い庭」p13)
私は常に上を狙いたい。誰も見たことがない作品をものしてみたい。そうでもしないことには、ばかばかしくてやってられない。とはいえ、一日は二十四時間ある。たっぷり時間が余ってしまう。この余った時間をどう過ごすかに作品の出来不出来がかかっている。(「安曇野の白い庭」p13)
どうして一日に二、三時間程度の執筆しかしないのかと訝る者がいる。(中略) かれらはこの仕事の性質と本質がよくわかっていないのだ。いや、人間の頭脳の限界というものをまったく理解していないのだろう。ぎりぎりまで集中し、頭をフル回転させたら、せいぜい二、三時間がいいところだ。(「安曇野の白い庭」p12)
あれくらいの長い年月を費やさなければ、これくらいの作品は書けないのだということが、また、この喜びを味わうための四十数年の助走であったということが実感された。(日経新聞4/20/08)
ぶっ飛んだ小説を、原始的で、呪術的で、異常なまでの吸引力を秘め、それでいながら格調の高い大叙事詩のごとき長編小説を無性に書きたくなった。膨大な資料を読みあさりはじめたのが二年ほど前だった。そして、昨年の暮れに千三百枚を脱稿した。(日経新聞4/20/08)
日本が最も日本らしく、底抜けに自由で、生き生きとしていた室町時代を背景に、かの有名な「日月山水図」の屏風絵と、それを描いた作者が不詳であることを想像の起爆剤に用い、極めて大胆な発想によって、小説の原点とも言うべきめくるめく物語を構築し、かつてどの書き手も為し得なかった形式と、漢語と大和言葉との融和を図る文体を存分に駆使しなければならない、新境地だった。六十代に入ってまもなく、今ならそれが書けるという自信を得た。(日経新聞4/20/08)
四十代後半に狙いをつけた長編小説があった。テーマも構想も充分だったが、敢えて書かなかった。なぜなら、その大空を飛翔するだけの翼の力が具わっていないという自覚があったからだ。(日経新聞4/20/08)
「塞翁が馬」という故事がある。(略) このように人生の吉兆や禍福は簡単には定めがたいことを、述べたものである。私の場合もその通りで、当座は不運と見えたものが長い目でみると、むしろ幸運だったと思う場合が少くない。この年まで生きながらえると、人生は最後まで勝負の決まらないマラソンのようだとつくづく思う。(日経新聞5/1/08)
私は五十歳近くなって物書きになった。終列車の最後尾の車輌に飛び乗って、やっと間にあったという思いであったが、それも、考えようによっては、不利とばかりはいえなかった。(略) 柳田の弟子たちの間には、柳田批判を許さない雰囲気があった。(略) しかし時は氏神である。(略) その頃になると、柳田の威を借りた弟子たちの力もおとろえ、黙殺されることなく、かえって賞賛される始末であった。(日経新聞5/1/08)
才能を磨かず、才能を育てずして、注文のまま書きつづけていると、けっして卵や雛以上には成長せず、時間の問題で朽ち果ててしまうのは自明の理である。(日経新聞4/20/08)
こんな手はいけないという心理的なくびきがなくなり、新手に挑む気風が将棋界に広がっている。もう出ないと思っても新戦法は現れる。将棋は奥が深い。(日経新聞4/8/08)
タイトル戦を見て、これはいい手、これは悪い手、あーだこうだと言うのは楽しいのですが、集中度、真剣度が違う対局者の読みに勝てないことはわかっているので、虚しさも感じます。「負ける」という恐怖がある対局時と、気楽な観戦時では考える手や、感じ方が全然違ってくるので、仮に実戦より優る手を見つけたところで、あまり意味を持ちません。(渡辺明ブログ3/28/08)

 

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